論  壇 


 「「論壇」は日本作業療法士協会ニュースに定期掲載される三役が交代で執筆するエッセーです。折々の記のような思いで、そのときに浮かんだ思いを書いています。私が副会長職に就いた2003年から現在までのものをすべて掲載しました。その折々の時勢が映し出されているように思います。
ZIZI-YAMA  
  無理無駄
 「無理をするな」「無駄をするな」と言われて育った。ハイと返事をしながら、思えば、ずいぶん無理はしてきた。してきたというより無理はしなければならないことが多く、やむを得なかった。言い訳かもしれない、自分を納得させるためかもしれないが、それはそれとして、しなければならなかった無理に比べて、無駄は、しようと思ってしたことはほとんどない。実際には、無理をした結果を振り返ってみたときに、ああ無駄なことをしてしまったと思えるものが結構あるように思う。
 もっとも、「無理をするな」「無駄をするな」とよく言われた年齢の時には、何が無理で何が無駄かは、よくわかっていなかったというのが正直なところだ。事をなすときに最初から無理も無駄もなしにはできない。経験のないことをするときには、少し無理をしてみるしかない。そうして、ああこれは無理だと気がつき、その無理で生まれた無駄に気がつく。大切なのは、その少しの無理と無駄を隠さないことだと思う。隠さず、してしまった無理とそこで見えた無駄を次に生かす、そのゆとりが大切だと、無理を重ねてきてわかった。
 無駄とみえるものがゆとりだと思えるようになれば、ゆとりのために無駄を残すことで、無理をしなくてすむようになる。無理をして、生まれた無駄。その無理と無駄を隠そうとする時に、さらなる無理を繰り返すころになり、予測もしなかった新たな無駄が生まれる。
 そう思って振り返ってみれば、今年1年は、わが国が重ねた積年の無理と隠してきた無駄が限界にきた年だったように思う。その重ねてきた無理と隠してきた無駄が、天災と人災による亀裂から一気に漏れ出し吹き出した年だったように思う。しかし、それでもまだ隠しきれない無駄を隠そうとする無理を重ねている。見苦しい悪あがきだ。それが生むさらなる無駄を誰が引き受けるのだろう。
 必要な無駄(ゆとり)を次の世代に残すために、わたしたちは今、少し無理(努力)をしなければならない。美田を残す必要はないが、汚れきった自然を返せない借金のように残すのはよくないだろう。

                            日本作業療法士協会ニュース 358、2011/11
 1日は1日
 めまぐるしく、いろいろなことが起き、十分な対処もできないまま時が溢(こぼ)れるように過ぎてゆく。慌てふためき、時間に追いまくられて過ぎても、1日は1日。ゆっくりと思考の水面(みなも)をたゆたいながら過ごしても、1日は1日。ひとの生理的機能や構造、そしてそれを基盤に処理できることには、個人差があるとはいっても、ヒトという種の総体としてみれば限られた範囲にある。
 ひとはその生存のために「道具に依存する唯一の哺乳類」といったのはBartholomew。ひとの生活の大半は、道具を使うさまざまな作業や作業活動により構成され、その作業や作業活動を通して、ヒトは人になり、その進化が支えられてきた。ハサミやシャベルなど、身体の機能を補う道具や「てこの原理」を利用し、力学的エネルギーの範囲で生身の身体が生みだす力を凝縮・増大させることで、ひとは自然と対峙し共存してきた。
 そして、力学的エネルギーを越えるエネルギーとして、太陽の恵みが植物と時間により熟成・凝縮させられた化石燃料や、地球の重力と水の循環、風の力、太陽光、波などを電気エネルギーとして利用することで、大きな進化を遂げた。しかし、その利便さと効率という蜜の味を知った人間が、自らの手で小さな太陽(核分裂によるエネルギー)を作ろうとした時から、流れは大きく変わった。豊富なエネルギーにより、1日という時間は、利便さを越えて、めまぐるしく人を追い立てる存在に変貌してしまった。地表をチーターよりも速く走る新幹線、空をツバメより速く飛ぶ飛行機、海を鯨より大きな身体でわたり大量の原油を運ぶタンカー。それは利便さと効率をもたらしたが、1日という時のゆとりを奪ってしまった。地震と津波いう自然災害、太陽擬きを扱いかねたことで起きた人災(原発事故)、今私たちは、もう一度、作業的存在、人としての生理的機能や構造で対処できる1日の時の流れを取り戻さなければならないように思う。消費から再生、超高速から適正速度、大量輸送から地産地消、いろいろな見直しが必要だろう。
                            日本作業療法士協会ニュース 354、2011/7
  始・継・納
 ひとの出会い、学業、教育、研究、仕事、そして人生、いや野山の植物から虫たちまで森羅万象すべてに始まりがあり、引き継ぎ(継続)があり、納めどき(終わり)がある。3月、4月の年度替わりは、そうしたいろいろな区切りの中で、私たちの生活や特に仕事に関する区切りが重なる時期である。
 今年もそれぞれに、そうしたさまざまな「始」「継」「納」を終えて、新しい年度を迎えられたものと思う。華やかな転換を期待した政(まつりごと)の世界は、「始」は多少とも期待を抱かせたものであったが、「継」でドタバタ、ジタバタが続いた。なすこと口にすることすべてが、場当たり的というか、何ともみっともない、呆れてしまうような、「納」というより「末」の様相を呈している。私どもの小さな業界も、その混乱に巻き込まれたおかげでというか、政(まつりごと)の仕組みやその裏表を一部垣間見る機会があった。こうしたときには、本当にひとの品位が露わになるということを、改めて実感した。
 そうした不確かな時の流れの中にあって、わが作業療法という小さな職種がこの国に誕生して45年が経つ。新たな「始」に向かってどのように引き継ぐか、転換するか、「継」のありようが問われている。私は、自分自身の「納」を考える年齢になり、今、目前にある「始」への関与の仕方をどうするか、見苦しくないように、できれば品よくと思い図っているところだ。皆さんはどうなのだろう。初めての「始」を迎える新人、「継」を考えて「始」に向かう中堅、私と同じく「納」をはんなりと納めるために「始」を図る人、それぞれの力を携え合って、2011年度の作業療法の「始」の一歩を踏み出したい。
 2011年度のわが国の作業療法「始」の主なものとしては、第16回WFOT大会2014 Team Japanの始動開始、公益法人化の準備、代議員制への移行、新体制1期を終え是非が問われる作業療法士協会役員選挙などであろうか。あえて言葉にはしないが、できるだけ早く、ごまかさずに「納」を終えなければならないこともある。さて、ゆるりと遅れず参りましょうか。 
                            日本作業療法士協会ニュース 351、2011/4
  然・必然・自然
  偶然とは、必然性の欠如を意味し、事前に予期することが不可能なこと、あるいはそれが起こらない可能性もあったことが生じた場合をいう。「たまたま」と同義で、「思いもよらず」「図らずも」という意味で用いられる。それに対し、世の中に見られるあらゆる出来事は、それに先立つ出来事によって決定されて起きるという「決定論」では、「偶然ということは無くすべてが必然である」と説く。必然、すなわち、「思いもよらず」「図らずも」「〜するつもりは無かったのに」起きたことは、すべてそうあるべくして起きたという。
 因果的決定論であろうが確率的決定論であろうが、いや非決定論であってもかまわないが、どうも私たちの日常は、思いを持ってもその通りには行かず、そのようなことが起きるとは思いもしなかったことが、いくつも重なっていろいろなことが進んでいく。そうして、ことが進んでいく中で、本当にそうかと思う余地も無く、もうそうするしかなくなると思うようなことが多いようだが、いかがなものだろう。
 それこそが必然という声も聞こえるが、そうした論議はさておき、国の内外のさまざまなバランスが揺らぎ見通しがつきにくい状況になっている。わが作業療法の業界も、あるべくしてなのか、避けることができない多くの課題を抱えて新年を迎えた。5・5戦略後期、第16回WFOT大会2014 Team Japanが第1回の合同会議を開き始動開始、公益法人化の問題、多職種や他団体との連携のあり方と、重なる課題の中で新体制が船出し一航海(1期目)を終え、初めてその是非が問われる役員選挙の年。ますます「作業療法の知識や技術が必要とされるが、作業療法士は淘汰される」時代。たとえ自分にとって「思いもよらず、図らずも」おかれた状況であったとしても、作業療法のサービスを必要とする人たちに対して、何をどのように提供するか、私たち作業療法士一人ひとりの自覚と確かな行動が問われる年である。すべてが偶然、必然を超えた、自然な成り行きとして受け止めぶれない年にしようと誓って新年を迎えた。
                            日本作業療法士協会ニュース 346、2011/1

 
 東京下町に不思議な建造物が姿を現し始めた。足下が三角で、上になるにつれ円形になる東京スカイツリー。634m、自立式電波塔として世界一の高さになるという。634mの高さは、あの一帯が旧国名で武蔵(むさし)の国と呼ばれていたことにちなんで634(むさし)と決められたと聞く。五重塔の心柱制振など古来の耐震技術に日本の最新技術を駆使した質量付加機構を応用した構造である。鉄骨造のタワー本体と鉄筋コンクリート構造の心柱(しんばしら)の二重構造になっていて、心柱が振り子の機能を果たし本体との揺れを相殺することで、緩やかに揺れながら揺れを吸収する。何があっても揺れない構造は、一見頑丈に見えるが、巨大タンカーが一瞬のうちに真っ二つになって沈んだ脆性破壊のように、脆く壊れやすい。
 構造が大きくなればなるほど、揺れながら、その揺れを吸収して大揺れを防ぐ、そうした柔軟な構造が必要になる。組織もそうである。今、世界中が揺れの時代に入っている。わが国の行政も、どこで、どのように治まる(収まる?修まる?)のか見通しがつかない揺れが続いている。わが作業療法業界もそのあおりを受けたかのように揺れている。物も状況も組織も、揺れているときにこそその本質が現れる。揺れて形が崩れるものと、揺れて芯がはっきりと見えてくるものとがある。「ゆれ」は膠着状態から抜けだし、転換を図るチャンスでもあるが、「ゆれ」に戸惑い道を見失うと、大きく「ぶれ」てしまう。作業療法をおそっている「ゆれ」をチャンスとして活かそう。揺れまいと踏ん張りすぎずに、「ゆれ」で芯を見定めよう。そして、「作業を用いて生活機能をアセスメントし、生活機能に支障があっても、生活に必要な日々の活動を行えるよう、作業をもちいて援助する」、この「ひとと作業の関わり」を用い「ひとが生活を取り戻す」援助をするという作業療法の原点に立ち戻りたいものである。
                                        日本作業療法士協会ニュース 344、2010/9
 地球の裏側に行ってきた                                           
  第15回のWFOTCongressチリ大会に参加した。乗り継ぎ含めて片道およそ30時間の距離は近くて遠い距離だった。経度や緯度からすれば、日本とチリはちょうど地球の裏側(対極)にあたる。メキシコに行ったときもそうであったが、チリの人たちにも何とも言えない親近感を感じた。一概には言えないが、平均的な日本の国民性とはやはり異なるようにみえる、あの気さくで、おおらかで、のんきで、明るいラテン系の人たちに感じる親近感は何によるものだろう。音楽もそうで、日本の音楽とはノリからして異なるのに、妙に親近感を感じるものがある。
 大会があったのは5月初旬、日本は初夏の季節で、対極のサンティアゴは初秋。すでに遠くアンデスの山々の頂は白く雪化粧し、街路樹は紅葉が始まっていた。町外れを歩いていると、同じ南米アルゼンチンの吟遊詩人アタウルパ・ユパンキのギターによる弾き語り『インディオの道』が浮かんできた。この引きつけあう親近感はなんだろう、共にその土地の風土に合わせて定住する農耕を主体とした自然との関係の持ち方に関係があるのかもしれないと勝手な想像もしてみた。自然そのものを受け入れ、地産地消といえる、その土地の光と風の匂いが染みついた生活から生まれる哀愁なのかもいれない。いや、それ以上に感じるあの懐かしさ、親近感は、北インドのリシケーシュでも西安のはずれでも感じたものと同じ匂いがする。
 それは、科学と工業技術の進歩により生み出された、物と情報があふれた世界、自分が手をかけなくても工夫しなくてもよい、コンビニ生活のような利便さの中で私たちが失ったものへの郷愁なのかもしれない。ひとの暮らしの営みとその障害に関わることを生業(なりわい)とする者として、感じている生活感の喪失への心の痛みによるものかもしれない。今回の地球の裏側への旅で得た収穫も、異文化との出会いで気づく、私たちが失ったもの、失いかけているものへの思いであった。
                             日本作業療法士協会ニュース 341、2010/6
                                              
 第15回のWFOT世界大会が5月にチリで開催される。チリは東西は170qあまりだが、赤道近くから南極の近くまで4000qを超える南北に細長い国だ。日本の国土の約2倍の土地に、日本の人口の10分の1あまりの人々が暮らしている。世界大会は、そのチリの首都サンティアゴで開催される。サンティアゴと日本は、時差13時間、距離にして約17000qの位置関係にある。それぞれ地球の反対側にあるようなもので、昔の船旅なら1か月近くかかったが、今なら飛行機で30時間あまりで訪れることができる。情報がどれほど速く大量に飛び交おうと、人間が生活するには物資の移動がかかせない。そして本当の意味での理解と連携は、お互い顔を見ながら話し合うことに勝るものはない。1日半で地球の反対側にある国を訪れ、顔を見ながら話すことができる。飛行機があるからこそ可能な作業療法の世界大会といえる。
 とはいえ、その利便に感心しながら、ひとの暮らしの営みとその障害に関わることを生業(なりわい)とする作業療法士としては、少し複雑な思いもある。飛行機による移動が普通になったのは20世紀も半ばになっってからであるが、またたく間に世界中に普及し、人と物資の移動の時間格差、地域格差を一挙に縮めた。しかしそれは、化石燃料である石油を大量消費することで築かれたものだ。地球の歴史からすれば、瞬き程度の年数で化石燃料を食いつぶして生まれた繁栄、その繁栄がわずか半世紀足らずで終焉を迎えようとしている。次世代のエネルギーに関しては、さまざまな研究がなされているが、石油に代わる安価で大量なエネルギーが開発されない限り、飛行機が飛ばなくなる日はそう遠くない。飛行機が飛ばなくなる日、それは、衣類や生活用品をはじめとし、多くの石油精製品が姿を消し、人や物資の大量移動ができなくなり、生活すべてを大きく変えなければならない日といえる。チリ大会の手続きをしながら、飛行機が飛ばなくなる日の生活と国際交流について思いを巡らせている。飛行機の飛ばなくなる日の前に、それは地産地消に近い生活の訪れ‥‥。
                            日本作業療法士協会ニュース 338、2010/3




                
                
 大阪は通天閣、ジャンジャン横丁には串カツ屋が軒を並べている。そこでは「ソースの二度づけ禁止」は常識だ。金属製のバットに入ったソースを客が共用で使うからだ。二度づけすると雑菌にまみれたおっさんたちが危うい関係になるからだろうか。誰でも分け隔てなく受け入れる。その代わりに、ギリギリの節度でお互いの安心・安全を保障する。それが「二度づけお断り」の文化といえる。
 それに対して、同じお断り文化でも、京都には祇園の花街あたりを中心に「一見さんお断り」という文化がある。京都に住んでいても、その店になじみの人の紹介がないと入れない。素性の判らないものを入れないことで、伝統や文化を護る。ミシュラン騒ぎで揺れたが、それが「一見さんお断り」の文化である。 
 誰でも受け入れるが、これだけは守らないとお断りという文化と、これが守れない人はお断りという文化、正反対のように見える二つの文化が昔から隣り合わせにあり、淀川を往来する三十石船で結ばれていた。「二度づけお断り」と「一見さんお断り」、この正反対に見える文化は、いずれも「新しもの好き」で文化を育て守るということでは同じである。大阪も京都も、昔から世界の国々と深い結びつきを持ち、多くの文化を取り込み、それぞれに独自の自文化を作りあげてきた町である。今も、二つの文化圏には世界各国から多くの人たちが集まる。
 作業療法も、国際化という他文化との共生が求められている。共生は、画一化とは異なる。自文化を固守するのでも、自文化を放棄することでもない。他文化や自文化、それぞれの多様な文化と価値観がふれあう中で、一人ひとりの「内なる国際化」、すなわち他文化と自文化を共に尊重することで成りたつ。さて、「二度づけお断り」「一見さんお断り」、どのような形であれ、他文化と共生しこの国の作業療法の文化をみんなで育てたいと思いつつ、2014WFOT世界大会の準備を始めている。
                            日本作業療法士協会ニュース 335、2009/12

 

     
 「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークでトルネードが起こる」、地域の名や表現にはいくつものバリエーションがあるが、バタフライ効果という。通常なら無視するような小さな違いが、時間の経過で無視できない大きな違いになるという、カオス力学における現象を比喩したものらしい。1972年に、気象学者のエドワード・ローレンツがおこなった講演『予測可能性−ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか』に由来すると言われているが定かではない。
 由来や定義はさておき、いい意味で作業療法の世界にバタフライ効果を引きおこしたいと強く思う。なぜなら、今、作業療法は豊かな可能性を秘めた大きな危機的転機を迎えているからだ。教育も臨床も、従来のあり方が行きづまりはじめて久しい。教育、研究、臨床、作業療法のあらゆる構造(structure)を見直し、過程(Process)と成果(Outcome)を誰にもわかるように示し、本当に必要とされる作業療法の確立を図らなければ、取り残されるどころか抹消されるのではないかと危惧する。
 作業療法の質と社会的な認知度を高めるには、一人ひとりの手抜きのない臨床の積み重ねと、積み重ねた事実を表現する以外に方法はない。「どうせだめ」「自分一人が何をしても」といった思いを捨てて、自分にできること、自分ができることをしよう。一人の羽ばたきがなければ、すべては始まらない。一人の羽ばたきがなければ、何も変わらない。
 「どこかで作業療法士が事例を一つ書くと、作業療法の世界が変わる」「一人の作業療法士が外に出ると、作業療法に対する社会的認知が変わる」。どのような現象が起きるか予測はできなくても、初めがなければ何も変わらない。北京の蝶の羽ばたきが、ニューヨークにトルネードを起こす可能性に比べれば、各自が事例を一つ書くこと、それぞれが視野を外に向けることは、作業療法の世界を大きく変えるだろう
 「作業療法5ヵ年戦略」は作業療法の世界を変える大きな方向性、2014 WFOT 16th Congressは日本の作業療法を見直す大きなチャンス。今、このときに君の羽ばたきを。
                            日本作業療法士協会ニュース 332、2009/9
   

 2008年911日、スロベニアで開かれたWFOT(世界作業療法士連盟)代表者会議で、「2014 WFOT 16th Congress」の日本開催が、ダーバン(南アフリカ)やアムステルダム(オランダ)を退けて、圧倒的多数で決まった。杉原会長、WFOT Congress招致委員会奈良委員長と委員会メンバーを中心に、日本政府観光局や横浜市、横浜観光コンベンション・ビューロー、パシフィコ横浜などの協力によるものである。一昨年からの招致活動が実を結んだもので、日本はもとよりアジアでも初めての開催で、日本やアジア諸国のリハビリテーションの連携と発展に大きく寄与するものと思われる。また昨年2月には、隣国韓国作業治療士協会(韓国ではoccupational therapyを作業治療という)の訪問があり、11月には韓国作業療法学会の席で学術交流が正式に調印された。このような日本の作業療法に対する関心と期待が高まるなか、今年の福島学会から2014年まで、学会時に毎年、国際シンポジウムを開催し、世界の作業療法事情を知り、日本の作業療法を世界に知ってもらうという企画も始まった。
 このような動きは、Occupational Therapy各国の文化事情のなかで、どのような役割を果たしているのかを知ることで、私たち自身のそして日本の作業療法のあり方を見直す絶好の機会である。グローバリゼーションは、外国のものを崇め傾倒し、拝外主義的に理論やモデルを紹介、導入するようなものではない。それこそ島国の住人の無意識な劣等意識がもたらした、国際化の名を借りた排外主義と表裏一体の自虐的な行為の一形態にすぎない。会員の皆さんの国際化の窓を開くため、協会事務局に英語や韓国語が堪能な事務員を配置したり、国際部の再編強化、研修やホームページの工夫も進めている。言葉の壁は大きいと思われるが、国際化に求められるのは、論理的な思考力と適切に自分の考えを表現する国語力、自国の文化に対する正しい理解である。そのベースがあって、形にこだわらず、積極的にコミュニケーションを図り、互いに知り合うことから始まる。
 2014 WFOT 16th Congress、Yokohama in Japanは、自分の作業療法を検証する大きなチャンス。作業療法士協会では、チリのサンチアゴで開催される2010 WFOT 15th Congressに向けてツアーも企画している。双方が地球の反対側に位置する国同士、発表する、しないにかかわらず、地球の反対側を散歩するのも楽しい。フォルクローレの吟遊詩人とうたわれたユパンキのギターと歌声がどうしてこれほど郷愁を誘うのだろう。「インディオの道」をチリで一緒に聞こう。
                                        日本作業療法士協会ニュース 329、2009/6


 

 作業療法の教育を担って20年になる。臨床で働いている作業療法仲間や患者さんたちにかける負担を少なくしたいということと、臨床経験がない学生たちにことばによる講義では伝わりにくいことを少しでも理解できるようにと、評価実習は自分が作業療法士としての臨床感の維持と臨床研究のフィールドの一つとして関与している大学病院の精神科で試みてきた。臨床経験がない学生たちに対する「ああ、そうか。これがそうなのだ」という「気づきの学び」の試みである。それでも、評価実習では「そういうことなのかな」程度で、臨床実習で初めて知ったようなことを言い、臨床を始めて45年してから「ああ、そうだったんだ」ということに気づく。そういうものだと思って20年、最初の扉を開くことをにした者の責任として、自分が関与している臨床の場における共有体験や学生たちがこれまでの生活の中で経験している類似体験、そして「たとえば○○のような」という比喩表現などを駆使して、伝える工夫をしてきた。しかし、年々その工夫も効かなくなり、こんなことまでと思うようなことを、それこそ「手取り足取り」して教えなければならないことがふえてきた。いろいろな表現で伝えても「?」という表情をする若者たちに「ああ、君たちにとってはこれももうしごか」と思わず口にしたとき、さらに重なった「?」「?」の表情。「しご」も「しご」なのかと、あらためて「しご」って知っていると聞いてみたら、「四語」かと言われ、「四語」って何かと反対に聞き返すしまつ。どうも「しご」を四字熟語と思ったらしい。話の流れの中の「ああ、これももうしごか」に当てはめて、文脈として成りたつかどうかも考えることなく、「私語」や「死後」もあげられた。「死語」が「死語」になっているのに気づかされた瞬間である
 年始めに、認定作業療法士の更新研修でお話しする機会があった。それこそ1つお話しすれば10以上わかる経験を積まれた作業療法の先達の皆さんである。「死語」はともかく「手取り足取り」も「身体で覚える」ということも「死語」になる世代が作業療法を学んでいる時代。どうか「身体で覚える」経験を経た作業療法の先達として、認定作業療法士の更新をすませていただき、その経験を形として残し、「手取り足取り」、作業療法を量から質に変える力になっていただきたい。
                                        日本作業療法士協会ニュース 326、2009/3

 
 既に紅葉が見頃の韓国に、大韓作業治療師協会との学術交流の調印で会長、国際部担当理事と出向いた。第16回大韓作業治療学会で両国の会長による調印が行われ、依頼のあった「日本の精神保健制度と作業療法」に関する講演を終えた。引き続いて韓国の精神保健事情と作業療法の課題に関するシンポジウムにも、急遽特別参加が決まりコメンテーターとして加わった。
 韓国の作業療法の歴史をひもとくと、朝鮮戦争の時に米国からWilliam Rush Duntonが来韓して行ったのが最初で、その後日本とほぼ同じ時期に導入が試みられている。韓国の作業療法士第1号が誕生したのは1969年であるが、正規の作業療法士教育が始まったのは1979年の延世大學校が初めてとあった。学会としての活動は1983年に開始し、1993年に大韓作業治療師協会が承認され、同年に延世大學校で大学院教育が始まり、1997年に学術誌創刊、1998年にWFOT加入という歴史をたどっている。現在有資格者約3500名、4年制大学17校、3年制短期大学26校に作業療法学科があり、総入学定員は約1500人と、規模は異なるがわが国の作業療法の歴史の縮図を急速にたどっているといった感がある。精神科作業療法に関しては、まだ診療報酬の対象となっておらず、作業療法に類するものは、精神社会事業士という名称で社会福祉士として所定の訓練を受けた者が行っており、作業療法士の精神科医療への参入に対しては、医師の団体の抵抗が大きいと聞く。事情は推測できるが確認されたものではない。社会情勢が大きく変化する中で、各国の作業療法もそれぞれの国の情勢を踏まえながら大きな転換がおきている。
 近くて遠かった隣国との作業療法を介した学術文化交流は、私たちにさまざまなことを気づかせてくれるだろう。中国との学術交流はJICAの関連ですでに始まっているが、アジア太平洋地域の交流は始まったばかりである。少し離れてみてわかる。これは、勤務施設、領域、出身地、家族、国家など、自分が所属・準拠する集団すべてに言えることである。隣国との交流をはじめWFOT世界大会の招致は、排外、拝外、二つの「はいがい」の呪縛から離れ、広い視野で、この国とこの国で生まれた作業療法を見直す良い機会になるだろう。

                                        日本作業療法士協会ニュース 323、2008/12
 「地産地消」の作業療法を
 燃料代の高騰により、近代というシステムの構造と欠陥がみえてきた。情報操作によるマネーゲームの影響もあるが、確実に松井孝典が警鐘を発した、地球というシステムにおける人間圏の厳しい未来が姿を現し始めたといえる。人間は、特に近代においては、情報と物を大量に速くどこへでもという移動・消費システムにより、大きな発展を遂げてきた。人類のありようからすれば、その方向性を変えることは難しいであろうが、流通の方法と物については、見なおさざるを得ない時代を迎えている。地球という一つのシステムの中で、化石資産を食いつぶす形で発展を続けてきた人間圏という特殊な生態系に陰りがみえてきたといってもよいだろう。物を保存し動かすことで、地域差や時間差、価格差、自然環境の影響などを免れてきたが、そのために大量に消費してきたエネルギー源の枯渇と保存・移動による物の質の保障の低下という二つも問題がある。「動かす便利さ」より「動かさないことの質」の見直しともいえよう。
 労力・時間・エネルギーを消費して「動かす」ことよる効率・利便さもあるが、「動かす」ことで劣化し見えなくなるものもある。今一度「動かさない」ことの大切さを考えて見なければならない。これは農産物の「地産地消」はもちろんのことであるが、医療や生活支援などについても言えるのではないだろうか。生死に関わる治療は、移動もやむを得ないが、予防や養生の生活などは「地産地消」をどのように活かすかが問われているように思う。作業療法士協会は2008年〜2012年の5ヶ年に、医療領域と保健福祉領域の作業療法士配置比を5:5位になるようにということを目指し、地域生活移行支援の推進を「作業療法5ヵ年戦略」として掲げた。「入院医療中心から地域生活中心へ」という方策が、10年計画で提示されて上半期の終わりを迎えている今、「地産地消」の作業療法こそがトレンディ。もちろん、地元の食品・自然の旬の時期の食品のみ健康に良いという「身土不二」のような排外的な作業療法を指してのことではない。必要な知識や技術はどこからでも移動させ、その地域の文化・風土を活かした、地域生活中心の作業療法である。

                                        日本作業療法士協会ニュース 320、2008/8

  長寿と言い換えられても
 「ことば」とは不思議なものだ。たった一言でスッと腑に落ち、納得できるものもあれば、何か怪しい、本音のみえないものがある。すべてがそうではないが、漢字の連なりや多すぎる説明などに出会うと、本当の意味がみえずなんとなく怪しさを感じてしまう。
 4月に、田舎で一人暮らしをしている母が、後期高齢者医療制度の対象なのでと、保険証の遠隔地証明返却の通知があった。「障害者自立支援法」「後期高齢者医療制度」と、福祉サービス、公費負担医療、高齢者医療費などの法制度の改正が相次いでいる。いずれも、避けては通れないものばかりであるが、つまるところは策が不十分な結果の財政負担の行きづまりがもたらしたものだ。
 状況からすれば、応分な負担を、それぞれが負わなければならないことは、だれが考えてもやむを得ないことと思われる。しかし、あまりにも応分とは思えない。負担の額の問題ではなく、生活全体に関わる負担度が応分とは思えないのだ。生活体力の弱い者に負担が重くのしかかっているように思われる。自立支援といいながら、高いハードルで、自立の足を引っ張っている。どう考えても、大変だけど頑張ってみようとは言いにくいし、そういう気持ちにはなりにくい。後期高齢者医療制度に至っては、「生活を支える医療」の実現というが、まるで今世紀の姥捨て山にもみえる。世の声の大きさに、あわてて「長寿医療制度(後期高齢者医療制度)」と呼び換えたり、しかも( )がついたりつかなかったりすると、いよいよ不信感がつのってしまう。最初から納得のいく分かりやすい説明はできなかったのだろうか。元々説明のできないものなのだろうか。
 障害がある方も高齢の方も、私たち作業療法士と関わりの深い人たちである。その人たちが置かれている生活の不安に、どのように応えることができるか。作業療法の依頼や処方を超えた、身近で大きな課題を感じる。何かの余震でなければいいのだがと思いつつ。
                             日本作業療法士協会ニュース 317、2008
 梅一輪 − それぞれに 
 
「梅一輪一輪ほどの暖かさ」(蕉門十哲:服部嵐雪)
 立春の声を聞き、陽射しに明るさが増し始めた。冬の残りがまとめてやってきたような寒気の中で、樹齢三百年とも四百年ともいわれる古木に、白梅が一輪、二輪。今年も、梅の花が咲く時節になり、学生たちがかじかむ手に息を吐きかけながら、国家試験の勉強をしている。この原稿が活字になる頃は桃の花の季節、試験も終わり、桜が咲くのを待っているのだろう。私が学生だった時分、合格通知の電文は「サクラサク」だった。日本の花といえば、菊と共に桜が慣例で国花とされているが、昭和の初めには梅がいいか桜がいいかと論争もあったという。万葉集に読まれる花は梅が多く、昔は、花見というと梅の花を観ることとされていた。
 梅は1年目の若枝には蕾がつかない。一度寒風の冬と灼熱の夏を越えた枝に蕾がつき、二度目の冬に花を咲かせる。冬の季語とされる梅は、百花の魁(さきがけ)といわれるように、すべての花に先がけて寒気の中で咲き、春の訪れをつげる。長い冬を堪え忍び清楚な色と馥郁とした香で春をつげるの梅の花は、艱難辛苦を乗り越えることにたとえられ「忍耐」の象徴ともされる。
 梅は中国からの渡来木、桜は韓国からの渡来木、日本は海を隔てた国々の文化を受け入れ、この国の風土の中で育ててきた。作業療法という一つの文化が渡来して、半世紀あまり、やっと咲き始めた作業療法の花は、どのように花開くのだろう。「桜梅桃李」、桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李としてといわれが、桜も梅も桃も李も、元はといえばすべてバラ科サクラ属の花である。「リハビリテーション科生活支援属」の花として、時代の寒気に耐え、作業療法士も一人ひとりが、その個性を生かして咲けばいい。今年の春「サクラサク」のは何千だろう、きれいな花がたくさん咲いてほしい。 
                            日本作業療法士協会ニュース 314、2008/3
 国際化とグローバリゼーションについて 
 いつをそのはじまりとするかは緒論あるが、Occupational Therapyという、ひととその生活を支援する生業(なりわい)が、リハビリテーションの理念と技術の一環として産声を上げ、百年あまりが経とうとしている。その間、各国の文化、経済事情は激変し、環境や政治・経済など、国家間の文化的共存を目的とした国際化や、地球規模で国家や地域などの境界を越えて、共通の課題として考えざるを得ないグローバリゼーションという視点から、私たちの今の生活と未来のありようを検討しなければならない課題が洪水のように押し寄せてきている。医療技術はともかく、臨床の背景となる文化・医療経済に対する考え方、取り組みの違いから、Occupational Therapyはそれぞれの国の事情の影響を受けながら、発展と模索を繰りかえしてきた。すでに、Occupational Therapyも是非を超えて、国際化、グローバリゼーションの光と陰を見据えて、今後の動向を見定めないとならない状況におかれている。
国際化といっても、もう拝外主義的に理論やモデルを紹介、導入する、黒船時代のような国際化の時代ではない。論理的な思考力と適切に考えを表現する国語力、自国の文化に対する理解があってこその国際化でなければならない。いずれの国や地域であれ、そこで暮らす人々とその生活の問題を、確かな医学的知識と技術により見定め、一人ひとりの生活の再建に向けて、その自律と適応を援助するOccupational Therapyの知識・技術が不要になることはない。それは人類がこの世に存在する限り、必ず必要なものである。しかし、これまでも警鐘のように言い続けてきたことであるが、Occupational Therapyの知識や技術は必要とされるが、作業療法という生業や作業療法士は淘汰される時代が来ている。1960年代、わが国がモデルとした米国のOccupational Therapyの変容と生き残りに向けたさまざま試行は、決して他山の石ではない。
 このような状況の中で、日本作業療法士協会は長期計画の一環として、2014年のWFOT世界会議招致の運動を、委員会を設置し開始した。招致ができても課題は大きいが、すでに「拝外」「排外」の間で狭窄的な視野で論議するレベルではない。WFOTのありよう、そしてOccupational Therapyが各国でどのような機能を果たしているかを見据え、日本の事情も各国に伝え、個々の作業療法士が自分の目の前にいる私たちのサービスを必要としている人たちに、何をどうすればいいか、そのために何を学べばいいかを考える絶好の機会である。国際化、グローバリゼーションは視野を広げると同時に、失う視野もある。流行(はやり)や言葉に惑わされることなく、世界を見ることで、自分を見なおすことが必要、と思いつつ新たな年にむけ、大変であったこの年のできごとを忘年、忘年。私にとって、今年の除夜の鐘は108ではなく、216聞いてみたい忘年の年であったが、みなさんにとってはいかがだったのでしょう。

                            日本作業療法士協会ニュース 311、2007/12
 事例研究と登録のすすめ:語りと騙り 
 根拠とか客観性、普遍性といったことが問われているが、時間や距離のように測定が可能な、数値化された量的根拠を示すことのように思われる向きもあるのではなかろうか。確かに、客観性や普遍性を問うことは重要で、数学的自然科学が近代医学の発展にもたらした恩恵は計り知れない。しかし、中村雄二郎が「臨床の知」という言葉を用いて指摘したように、近代科学的手法が行きづまりと空洞化を招いて久しい。その対処として、NBM、質的研究などが試みられるようになったが、それも流行病(はやりやまい)が静まるようにトーンダウンしていることが気になる。
 トーンダウンの原因は、質的根拠は測定が困難で、論拠が研究者の主観になりやすいこと、自然科学的実験に比べて、NBMや質的研究を技法として身につけることの難しさなどが原因の一つと思われる。しかし、根拠は数学的自然科学に限らず、多くの者が共通に認めることも根拠であり、対象者の個人的意味や納得もリハビリテーションにおいては重要な根拠である。
 医学モデルで客観的根拠を示すには、事例数が重要になることが多いが、生活モデルにおいては、医学の事例研究とは異なり、一事例の徹底研究がもたらす普遍性の意味は大きい。一事例を徹底して研究し、そこに見られた現象を語りきるとき、一事例はその事例を超えた普遍的知識や技術を提示する。困難と思われる事例との治療的葛藤を乗り越えたとき、その一事例との関わりにより、治療者として他に流用できるさまざまな普遍的力が育っていたという経験、臨床に携わってきた者ならだれでも一つや二つはある。 
 作業療法のEBMは、事例による普遍性の積み重ねにある。どのような対象に、何を目的に、どのような関わりを行ったら、どういう変化が見られたか、その変化は対象者や共に生活する者、介助やケアを行う者にとってどのような意味をもたらしたかといった、事例を通した現象をしっかりと語ることを大切にしたい。一人の作業療法士が、一年間に受け持つ対象から一事例をまとめ報告する。その試みだけで、年間30000を超えるデータが蓄積され、根拠の基盤となる。「学問のすすめ」も大切であるが、臨臨床研究・教育にあたる者の一人として、量的研究、質的研究を問わず、「騙り」にならない臨床「事例のすすめ」をする。 
                            日本作業療法士協会ニュース 308、2007/9
 年表−今を知る凝縮された過去 
 作業療法の処方を受け、対象となる人の心身の機能・構造の状態を知る、ADLやIADLなど生活の維持機能や1日の活動状態を知る。そうした今という状態の断面を知ることで、治療や機能的なリハビリテーションは可能になる。しかし、なぜこのような状態になったのか、これからどのような状態が予想されるのか、それに対してどのように援助すればよいのかなど、対象となる人の生活(個人性)を視野に入れた瞬間に、これまでどのように生活してきたのかということ(生育歴、生活歴、現病歴、治療歴など)が重要になってくる。この、これまでどのように生活してきたのかという個人性を、1枚の年表に書く作業をすると、今という断面でしかなかった対象者の情報が、その個人の物語性をもった凝縮された過去を語り始め、これから先の見通しを立てる情報となる。このように、過去を見るということは、「なぜこのような」という今を知るために、重要な役割を果たす。そして、それを年表という時間軸に書き表してみるとよい。
 年表は今を知る凝縮された過去、リハビリテーションにおいて対象を知るときだけでなく、今私たちが置かれている状態を知るときにも、年表が大きな働きをする。日本に作業療法士が誕生して不惑の40年を過ぎ、作業療法士の養成教育が大きな転換期を迎えている。しかし、転換期の課題は、同じ轍(てつ)にあたるものが大半である。しかも、量(人数)が増えた分、繰り返される問題も大きくなっている。実習施設数、臨床指導者の数と質、卒前教育、卒後研修、これらの課題の多くは、一昔前、二昔前、この国の作業療法が何度か繰り返し出合って来た課題と重なる。
 今、この国の作業療法の歴史を時間軸の年表で表してみよう。その凝縮された過去が、断面でしか見えない、今という現状の「なぜ?」を語ってくれる。なぜ、私たちは今このような状態にあるのか、この現状をどのように超えればいいのか、そのために今何をすればいいのか、これからどのようにすればいいのか、同じ轍を踏まないために、確かな作業療法の未来に向けて、この国の作業療法の年表をみんなで見なおしたい。
                            日本作業療法士協会ニュース 305、2007/6
  何人類?−リンゴを鉛筆を削るようにむく
 勤務している養成校が国立大学最後の4年制大学になり、最終の実習に出す一巡りの年を迎えて頭を抱えている。短大と大学に入学してくる学生の層の違いなのだろうかと検討したこともあった。確かに、作業療法士になるという指向性をもたずに入学してくる学生が増えたのは層の違いかもしれない。その中には、いつの時代も変わらず親に勧められてとにかく進学という類(たぐい)の者と、明らかに作業療法士になることを目的とはせず入学してきた者がいる。後者に関しては、作業療法教育の変遷と多様化という視点から、議論の余地は大いにあるが、作業療法を学び作業療法士にはならず、マスコミ、行政、出版、福祉用具や医用工学など広い領域で活躍するようになることも、大学教育の今後の検討課題である。頭を抱えているのは、それとはまったく違う種類の学生である。すでに教員だけでなく、実習で臨床教育にあたられているみなさんからも、同様な経験の声を耳にすることがあるが、日常の簡単な生活用具と思われていた物を使用した経験がない学生たちのことだ。リンゴをみんなで食べようと、皮むきを頼んだ時、鉛筆を削るようにリンゴの皮を削ったり、左手でリンゴを持ったまま動かさずに、ナイフで皮をそぐようにしている学生がいた。左手でリンゴを回し、右手の親指でむけていく皮を送りながらむくということができない。あまりにも不思議なので聞いてみると、これまでリンゴの皮をむいたことがないという。そうした学生は、患者さんといわゆる日常会話ができない、続かないと困る者が多い。1986年に新人類(しんじんるい)という言葉が新語・流行語大賞に選ばれたことがあったが、そうした価値感の相違とはまったく違う、発達過程における生活経験の不足としか言いようのない学生が、かなりの割合で作業療法の養成校に入学してくるようになった。リンゴの皮を鉛筆を削るようにむき、会話に行き詰まる、知的に問題はないが発達に偏りがある高機能偏発達人類?教育や指導の責任をとる年代になった新人類としては、この新たに出現してきた高機偏発達人類とどのように向き合うのだろうか。また春が来た。 
                            日本作業療法士協会ニュース 302、2007/3
 リハビリテーションの理念
 「政人(まつりびと)いざ事問わん老人(おいびと)われ生きぬく道のありやなしやと」昨年の夏に急逝された鶴見和子氏(社会学者)の遺歌である。自らも6年あまり前に脳血管障害による片麻痺でリハビリテーションを続けられている多田富雄氏(免疫学東京大学名誉教授免)が、「現代思想(2006年11月号)」、「機(2006年10月号)」に紹介された。お二方とも半身が不自由になられ、多田氏は言葉の自由も失われながら、真摯で痛烈な警告を発し続けられている。ご自身が不自由な身になられた体験が、言葉にさらなる深みと重みを加えている。お二方のリハビリテーションに関与したセラピストもいると聞く。
昨年のリハビリテーション日数制限には、多くの方たちが異論を唱え、反対署名運動や当協会をはじめ各団体の抗議声明も出された。リハビリテーションに携わる専門職として、その職能団体の一員として、リハビリテーションとは何かが問われている。精神科においても、三カ月や半年ごとに長期外泊することで退院処理をし、再入院という手続きで帰院するという、表面上の入院期間が短縮したようにみせる苦肉の策を弄している病院もある。
治療のための入院はできるだけ短いにこしたことはない。しかし、回復に時間が必要な場合もあり、機能を維持するためのリハビリテーションが必要な状態もある。作業療法士になって4半世紀を迎える年の初めに、気迫に圧倒されながら、多田富雄、鶴見和子両氏往復書簡「邂逅(かいこう)」(藤原書店、2003)を読み返してみた。「単なる機能回復訓練ではなく、心身に障害がある人の人としての復権と生活への参加」というリハビリテーションの理念、試験で問えば作業療法士なら誰もが答えるであろう理念が生かされる臨床の場でありたい。
                            日本作業療法士協会ニュース 299、2006
/12
 作業療法士とキャリア−歌を忘れたカナリヤ
 近年キャリアという言葉をよく耳にするようになった。この場合のキャリアは、単に「経歴」「職歴」といった意味ではなく、特定の職業を選択しその職業に関する専門的な知識や技術を身に付けるという意味で使われている。国家公務員のT種試験に合格したエリート官僚をキャリアと呼び、他をノンキャリアと呼んで差別化を図っているのも、専門的な職業に就いている女性をキャリア・ウーマンと呼ぶのも、その語源が影響してのことであろう。それはさておき、短大がすべて4年制化し、作業療法士という職業を強く目指しているわけではない学生も入学してくるようになった。彼らの内から、作業療法の知己や技術を身につけた者が、出版界やマスコミ、行政関係など、医療や福祉領域以外の領域で幅広く活躍する人材が出てくるような時代になっていくのであろうか。残念ながら、今のところは、そうした職業感や職業意識もなく、とりあえず大学に入学してきたというレベルの学生が多いように見受けられるが、どうなのだろう。作業療法の領域だけではない、日本の高等教育全般にみられる課題であろうが、自分の人生におけるキャリア・デザインが、全くといっていいほど、なされた経験がないまま受験に追われてきた。3回生あたりになって、さてこれからどうしようとやっと悩み始めたといった感がある。教育においても、教育に携わるためのだけのキャリアが問われ、実質の伴わないキャリア・アップのためのキャリア・パスに、多くの作業療法士が追い回されている。自分の身体とのふれあい、自分の身体を通した外界とのふれあいが希薄なまま、身体のリアリティを体験することなく作業療法が語られることの危うさを感じる。作業療法士にとっての本当のキャリアとは何か、今あらためて問い直している。「歌を忘れたカナリヤ」になる前に。
                            日本作業療法士協会ニュース 296、2006/9
  学会の転機
 今年も作業療法学会まで残すところ1ヶ月あまりになった。今年の学会は40周年というわが国の作業療法士協会にとって大きな節目であるだけでなく、作業療法士が30、000人、演題応募者800人を超え、学会参加予定数5、000人、今後の作業療法士50、000人、100、000人時代という未曾有の扉を開ける重要な課題を抱えた学会である。そうした対策として、学会評議委員会を中心に数年前の学会から検討し試みられてきた応募や査読へのITシステムの採用、そして初の試みの抄録集のCD-ROM化など、これまでとは大きく異なるシステムがいくつも採用された。演題数が500程度から700を超えた時点で、運営作業は村議会レベルで行えていたことを、国連とはいわないまでも急に国会レベルで行わなければいけないような大きな段差を体験した。小集団療法で12〜13名程度までならなんとか機能していたグループダイナミックスが、15名を超えたとたんに適切に機能しなくなるあの体験にも似ている。イメージを超えた体験といってもよいだろう。この京都学会の試行により、新たな時代にむけたシステムの利点と課題が具体的なものになると期待される。延べ2、500名、実数600名あまりの査読者の選定、査読の質と効率、海外からの参加者や非会員、他職種などの事前登録および演題応募、口述とポスターなどの発表方法、県市会会員で可能な範囲など、検討課題はきりがない。インターネット活用、透明性、経済性、いずれも時の流れであるが、そのために、ひととひとのふれあい、十分な意見の交換といった、作業療法の文化の熟成にとって大切な機会が希薄になる危険性も少なからずはらんでいる。多くの会員が、新しいシステムをどのように生かすか、今回の新たな試行を楽しみながら、学会の転機をよりよい形で発展的に乗り越えるための提案が協会に寄せられることを期待する。
                             日本作業療法士協会ニュース 292、2006/5
 二つの「ああ そうか」体験
 3月に数年一緒に学んでやっと作業療法入門くらいになった学生を送り出すと、4月にはまた迷える学生が入学してくる。学内での学びは大半が読む聴くことを中心に、視聴覚教材をあわせて話し合うことになる。早期臨床体験で見学などもするが、学生にとっては頭の中の学習中心になり、実感を伴わない。そうして学年進行につれ、臨床実習の時間が増えると、具体的な体験をして実感する。実習先で、あたかも初めて知ったようなことを口にし、一生懸命教えたつもりの教員を失望させる学生もいるが、しっかり卓上学習をした者は、「ああ そうか」と頭でわかっていたものを実感し、ストンと身の内に収まる経験をする。臨床に出て、いろいろ経験が深まると、今度は眼前の現象にとらわれて身動きができないような、壁に行き当たる状態がある。そうしたときに、学術集会や研修会などで話を聞いたり、他の人と意見を交換すると、自分がしっかりと取り組んで行き詰まっている者ほど「ああ そうか」と、一瞬にして目の前がすっきりと開けるような経験をする。思考から体験、体験から思考、その過程で生じる二つの「ああ そうか」体験は、ドイツ語でもそのまま"Ach so !"という。英語では"Oh, I see !"にあたるのだろうか。思考学習と体験学習、いずれが先であっても、心身相関の繰り返しにより、思考が行為になり、行為が思考としてまとまることで、「知っている、理解する、できる、身をもって知る」、思考と行為が一体となって習慣化されるプロセスを歩む。この習慣化は、自らの身を持って行うことなしには成り立たない。思わぬ病や障害で、心身の機能に歪みが生じた人たちが「ああ そうか こうすればいいのか」と実感して生活を再建される援助をする作業療法の豊かな日常性を感じる。今年も学会が近づいた。学会で、臨床の行きづまりを「ああ そうか」体験に変えよう。 
                            日本作業療法士協会ニュース 290、2006/3
 end(終焉)とend(目的)−不惑の年に向けて−
 保健医療福祉だけではないが、大きな転換が始まっている中で、近代が築いてきたものの終焉を見る思いがする年であった。近代の行き詰まりは、20世紀最後の四半世紀に露わになったものであるが、やっとそのしがらみの最後のあがきに到達したのだろうか。
 介護保険、新障害者長期計画、保健医療福祉の改革ビジョン、グランドデザイン、障害者自立支援法と、わが国の保健医療福祉の行き詰まりを打開するために次々と施策が打ち出され、介護保険は早くも行き詰まり、抜本的な見直しが始まっている。
 終わりなのか、はじまりなのか判断がつかないような混沌とした状態にも見える。しかし、endが「終わり、最後、末期、終焉」などを本義としながら、カント哲学で「(究極の)目的」を意味するように、私たちは、この終焉のあがきのような転換期のendの中にあってこそ、究極のend(目的)を見いださなければならない。
 「入院医療、施設処遇から地域生活中心へ」「共生社会」「福祉サービスの一元化」「ケアメネジメント」「共通の概念としてのICF」、などのキーワードは、リハビリテーションの重要な一翼を担ってきた作業療法にとって特別新しいものではない。新しくはないが、掲げるだけの訓辞のようなものであった。それが、今、具体的な共通のend(目的)として取り上げられたといってもよい。医学の知識と技術を持って心身の機能の障害と生活の障害にかかわる作業療法士にとって、期せずして到来したこの岐路は最大のチャンスでもある。国策の基本方針として打ち出されたこのチャンスを活かし、endo to endで取り組みたい。日本作業療法学会が40回を迎える新たな年を、不惑、迷うことなく、作業療法の質と量のはじまりの年としたい。
                            日本作業療法士協会ニュース 286、2005/12
  「察し」と「甘え」
 「美言信ならず」「言うは易く行うは難し」と「不言実行」を是とした文化は、同質性の高い日本特有のものであるが、決して固有のものではない。あのシェイクスピアの「ヘンリー八世」のなかにも、"And 'tis a kind of good deed to say well; And yet words are not deeds。(Henry [, V。 A。 153-4)"という台詞がある。上手な言い回しはよい行いの一つであるが、やはり行為ではないということであろう。また、"Deeds, not words。 "という句もある。やるべき時にはあれこれ言うより直ちに実行せよ、もしくは、言葉より行為でその人物がわかる、といった意味合いである。
 政界の意地の張り合いで空白状態が生まれ、少し性急すぎた自立支援法が先送りになったのはいいが、精神保健福祉法や診療報酬の改正など、いくつもの大切な審議も先送りされることになった。都合が悪いことは「黙して語らず」、語るとすれば調子のよいことを言うだけの「有言不実行」か、理由付けのために「ああ言えばこう言う」詭弁を弄する、といったことが昨今とみに多くなったように思うが、気のせいだろうか。
 多くが語られなくても、場の雰囲気を読み取り、限られた言葉のなかに真意をくみ取るといった「察し」の文化が崩れ、言わなくても分かって欲しいという未熟な「察し」の押しつけ、いわゆる「甘え」の文化の未熟で自己中心的な一面が表面化している。時代の移り変わりもあり、「察し」や「不言実行」より、個性や主体性、自己主張が求められるようになった時代、「有言実行」、せめて「一言実行」をそれぞれが行ないたいものである。「子は親の背中を見て育つ」という。教育・研究者だけではないが、先を歩む者は、恥じることなく背中を見せられる生き方が問われる。
                            日本作業療法士協会ニュース 284、2005/9
 情報過多時代の情報格差
 昔々、情報のほとんどが人による語り伝えによるものだった。子どもの頃、祖父の家には越中富山の置き薬(300年以上前に始まった家庭配置薬)があり、年に一度薬の入れ替えと集金に来ていた。紙風船と一緒にいろいろな各地の話を聞いた。ラジオや新聞などの無かった時代は、そうした薬売りや旅人、飛脚などが情報を伝えていたのだろう。明治文明開化の島国日本では、他国の学問を翻訳輸入するだけで、オリジナリティが無くても学者然として生計を立てている者もいた。外国との情報格差を利用した処世術である。
 情報化が進んだ現在では、昔とは違う形で情報格差が生まれている。現代の情報格差は、情報の氾濫により適切な情報を選択できない、器機などの問題で情報を入手できない、情報を入手する努力をしない、誤った情報の伝達などにより適切な情報が共有されないことによる。情報格差解消に関する法律、個人情報保護法と、情報の適切な活用と管理が問われる時代になった。協会や県士会、学会、研修会などの活動にしても、情報格差は誤解を生み、思わぬ問題を引き起こす。提供する方もそうであるが、利用する我々が内容を読み取る力を養い、積極的にコミュニケーションを図る努力が必要である。
 臨床をしながら教育・研究に携わる者の1人としては、情報に振り回されることなく、情報格差にあぐらをかくことがないようにと心している。人の生活に関わる専門職として、常に新しい知識や技術を追試・検証しながら、オリジナリティのある仕事を心がけたい。
                            日本作業療法士協会ニュース 281、2005/6
  IT投票の虚像と実像:一票の重みを活かそう
 2002年に電磁的記録式投票機をもちいて行う「地方選挙電子投票特例法」(略称)が施行された。翌年、新見市長・市議選挙で日本初の電子投票が実施された。電子投票のねらいは、自書式による疑問票や無効票の改善、開票事務の合理化と投票率を上げることにある。地方選挙電子投票は、選挙人の自由意志による投票を守るため、選挙人が投票所において電子投票機をもちいて投票する方法がとられた。
 インターネット投票は、投票所での投票を義務付けずに、個人の所有するコンピュータ端末(携帯電話からも可能になる)から投票できるというものである。この方法が初めて試みられたのは、2000年3月に行われた米国アリゾナ州の民主党大統領予備選挙で、予想を超える投票率であった。1990年代半ばから急速に普及し始めたインターネットは、その利便さとという光に隠れた陰もある。2003年のオールスターインタネットファン投票の川崎憲次郎大量得票事件、2004年暮れのネットオークション詐欺事件など数限りない。インターネット投票においても、データの改竄や二重投票・なりすまし投票の防止、投票の秘密、セキュリティ、本人確認などいくつもの課題がある。そのため、ID・パスワードの個人宛発行などいろいろな工夫がなされる。
 いずれにせよ、総会参加者だけの投票にたよっていた従来の方法からすれば、だれもが自分の意思を表明できる。しかし、自分の声の代弁者と対峙することなく投票することにもなる。情報が作る虚像に惑わされず、私の一票の重みを活かしたい。
                            日本作業療法士協会ニュース 278、2005/3
 NBMとEBM
  こころの病いに対する治療でもちいられてきたナラティブ・ベイスド・メディスン(Narrative Based Medicine、NBM)が、ここ数年領域を超えてもちいられるようになってきた。NBMは、その人が語る体験の「物語り」から、「やまい」や「しょうがい」の文脈を理解し、その人の抱える問題にアプローチする技法である。方やこちらも大流行のEBM(Evidence Based Medicine)は、「客観的データに基づいて診断や治療を行うこと」で、NBMとは対極にあるように誤解される向きもある。しかし「最近最新かつ最良の根拠を良心的に正しく明瞭にもちいて、個々の患者のケアについて決定すること」(Sackett、1996)がEBMであり、NBMはそうした根拠や統計、科学性を補い、患者の経験と医学的データの橋渡しをするもので、EBMには不可欠なものである。
 眼の前の患者の語る物語にしっかり耳を傾け(傾聴)、尊重し、解釈する技術は、臨床技能の中核で、対象者中心の医療の原点といえよう。ここで重要なのは「かたる」ことと、それをその人の気持ちを思いやりながら「きく」者がいることにある。予期しない「やまい」や「しょうがい」、出会いや別離などさまざまなエピソードが重なって、自分の「物語」が紡ぎ語られる。この「かたる」こと、そして是非を問わずその「物語」の気持ちをただ聴いてもらえる、それが自分に起きたことの確認、区切りになり、生きてきた証として、将来への方向性を与える力ともなる。
 一方、「かたる」ことは「語る」から「騙る」、すなわち自分の都合のいいように物語を作り上げる、いわゆるstorytelligになる落とし穴もある。認知症にみられる「物盗られ妄想」や統合失調症の「関係妄想」などは、「やまい」の中における困惑に対する対処行動でありstorytelligではない。storytelligは自己責任をとることができる者が、言い訳やごまかし、ナルシズム、自己顕示などから行う行為である。治療・援助に携わる「きく」側にいる者には、功(効)をあせるあまりややもすると都合よく物語を作るstorytelligの誘惑という罠がある。常に誰のために、何のためにを忘れず、EBMの根拠としてのNBMを活かしたい。
 2004年、わが国は多くの災害に見舞われた。4月にカロリン諸島で発生した第1号台風スーダエに始まり、11月末までに25の台風が発生し、そのうち10個が日本列島を襲った。住宅や道路、作物などに大きな被害を残し、さらに昨年の宮城沖地震に続いて新潟県中越地震が発生し、新潟県の山村豪雪地域に甚大な被害を与えた。多くの皆さんがさまざまな課題や心身の痛みを抱えて年を越される。これからこの体験を「かたる」日が訪れるまでに、心身の疲労が、日々の暮らしの中に現れ始める。健康に留意されて新しい春をお迎えください。
                            日本作業療法士協会ニュース 275、2004/12
 QQOT:量を質に
 6月号ニュースの論壇に載せた「QQOT:量を質へ」という小文に対し、先達から「老婆心ながらあなたの考える質とは」というお話をいただいた。急速に肥大化する作業療法界の現状を見られてのご心配である。教育や研究、職能団体としての業務に携わるようになり、毎日臨床に関わるという生活ではなくなったが、私は作業療法士である。研究も大切、教育も大切、協会業務も誰かが担わなければならない重要なこと。週1日か2日であっても臨床の手は抜けない。それらはいずれも、作業療法の治療・援助を必要とされている方々に、よりよいサービスを提供する、その臨床を支え、その臨床の技術を高めるためにあると考え歩んできた。「良質な休息の場の提供」と「日々の営みに必要な活動の再体験」を通して、その人自らが生きる意味、生きてきた意味にふたたび気持ちを向け、思わぬ病いや障害により失い、あきらめかけた生きがいを取り戻し、生活の場に戻っていただく。「あなた(作業療法士)に会えてよかった」「ここ(作業療法室)に来て、もう一度頑張ってみようという気持ちになりました」そう心から思っていただける、そんな対象者へのまなざしと確かな知識・技術、それが私が思う作業療法の「質」である。いただいたお話に対しては、このような冗長なお答えは必要なかった。お顔を見て一言二言でうなずかれ「そうね、私たちはその基本を見失ってはいけない」。ふとした気のゆるみでOTマインドとOTセンスを置き忘れることがないようにしたい。
                            日本作業療法士協会ニュース 272、2004/9
 どのような質へと問われて
 「募集しても募集しても作業療法士が来ない。金の卵だね」と、あきらめ口調で毎年のように言われた時代が長く続いた。近年、医療施設からのこうした声は少なくなったが、福祉関係ではまだ時折聞くことがある。作業療法士がこの国に誕生して、1000人を超えたのが16年目、2000人を超えたのは20年目の年だった。養成校が増え、卒業者が増え始めた時期には安堵した。10,000人を超えたのが、6年前の33年目。今年は、有資格者が26,000人を超え、入学定員は6,000人の大台にのった。数は力、量の増加は確実に作業療法士という名称に対する社会的認知度を高めた。しかし、誕生して40年になろうとする専門職の半数以上が経験5年未満という特殊な職能集団でもある。養成校数や入学定員の是非が論議され、どのように収束するかが課題であるが、もっとも大きな課題は、名称が認知されはじめたなかで、この急増する量をどのように質として高めるかにある。「やっと作業療法士がうちにも来てくれるようになったけど、訪問に行っても稚拙な手工芸では役に立たないからね」と地域ケアに熱心に取り組む施設の長から言われた。強烈なパンチである。年間6,000人あまりの大量生産が、「安かろう、悪かろう」の大量消費に終わってはならない。QQOLならぬQQOT(Quantity and Quality of Occupational Therapists:造語)を考える時代を迎えている。どのような(質)作業療法士を、どれだけ(量)世に供給できるかが問われている。生涯教育制度の試みが始まっているが、伝える方も学ぶ方も、しばらくは試行錯誤が続く。批評も大切であるが、批評には提案と実践をつけてほしい、各県士会の教育担当者はネコの手どころか孫の手も借りたい思いなのではないだろうか。
                            日本作業療法士協会ニュース 269、2004/6
 ニュートンのリンゴの木(近代科学)と主観
 年始め、ニュートン(1943〜1721)のリンゴの木が挿し木や接ぎ木で国内に増え続けているという記事を新聞で読んだ。親木は、40年ほど前に英国の国立物理研究所より東京大学付属植物園に贈られたものという。ニュートンが万有引力の法則を発見するきっかけとなったリンゴ(品種名:ケントの花)の5代目といわれている。その事実の如何は別にして、リンゴにも月にも地球に向かって落ちる力が働いているが、運動の慣性の働きで、月は落ちずに地球の周りを回っているという万有引力の法則が発見された。その発見により、近代科学が始まり、以後、自然科学は普遍性を求めることで発展してきた。
 しかし様々な現象の謎を解き明かしてきた近代科学も、万能ではない。客観的に同じもの=普遍的と見られていることも、厳密にはその多くは類似の範疇のことであり、その類似の範疇をどこまで同じとするかを問われれば、普遍性もあいまいなものである。作業療法は、生活の多様な現象を対象に、生活の質の違いの問題を取り扱う。「これは大丈夫だが、この感じは少し困る」と、主観としては明らかにそのQualiaの違いを捉えていながら、客観的にその違いを言葉で表現することが難しいことのevidenceを問われる。それは自然科学とは異なる科学である。その対象や現象がaffordしているQualiaを捉えることの難しいから楽しい作業こそが、自分が作業療法を捨てられない理由かもしれない。
                            日本作業療法士協会ニュース 266、2004/3
 米国における精神保健領域作業療法の彷徨−歌を忘れたカナリヤ?−
 米国作業療法協会(AOTA)2003年度総会の承認事項の一つに、精神保健領域の作業療法に関するものがあった。それは、法や規則にあるQualified Mental Health Provider/Professionalsもしくはそれに相当する用語に、作業療法士が含まれているかどうか調査するようにAOTA協会長に要求したものである。20世紀前半に精神衛生運動の一環として始まった作業療法に対し、精神保健に関連する療法の一つであるという認識がなくなってきている。国や州、精神保健に関係する人たちに、作業療法が有用であること、作業療法の活用を啓蒙しようという趣旨である。
 今や米国で精神保健領域で作業療法に従事する作業療法士は5%前後、協会が「作業療法士は精神保健に関わる専門職の一員であることを認識してください」と声を上げなければならないほど、米国における精神保健領域の作業療法は低迷・彷徨している。原因はいろいろ考えられるが、一つには、絵画、園芸、音楽、レクリエーションなど、活動ごとに専門職を養成し、作業療法士が、作業活動を用いなくなったことが影響している。そして、わが国のような公的保険制度がなく、民間保険によるマネージド・ケアにおいて、医療内容・受療期間決定に強い権限を持つ保険会社が、時間を要する療法や直接的効果が確認しにくいものを診療対象からはずしてきたことが影響している。
 生活を構成する豊かで確かな作業活動という手段を生かし、生活の再建、自律と適応を援助するはずの作業療法士が、ADL以外の作業活動を用いて生活の障害に関わることをしなくなった。作業活動を生かした臨床ができない、しない、口だけの作業療法士は、「歌を忘れたカナリヤ」よりも実在感がない。同じ病魔が日本の作業療法教育・臨床を蝕む前に、作業療法士としての自覚と対策が必要である。
                            日本作業療法士協会ニュース 263、2003/11
 作業療法のユニバーサルデザイン化
 1982年、「国連障害者の十年」に基づき、障害者施策に関する初めての長期計画「障害者対策に関する長期計画」が策定され、その後継計画として1992年に策定された「障害者対策に関する新長期計画」は、同年改訂された「障害者基本法」に基づく障害者基本計画に位置付けられた。これらの計画により1995年の障害者プランでは、わが国の障害者施策の分野で初めて数値目標を掲げノーマライゼーションとリハビリテーションの理念が推進されてきた。そして、昨年それらの理念を引き継ぎ、障害者の社会への参加、参画に向け2003年度から2012年度までの10年間の基本的方向を示す障害者基本計画と、新障害者プランが定められた。その重要なキーワードは「共生社会」であり、一昨年WHOで採択されたICF(国際生活機能分類)の活用を図り、建物、移動、情報、制度、慣行、心理などソフト、ハード両面にわたる社会のバリアフリー化を進めるとしている。
 そこには、20世紀に専門分化し特殊化することで発展を遂げたそれぞれの分野が、一度作った専門、領域という境界を崩し、すべてのひとに分かりやすいユニバーサルデザインへという、新しい時代の流れを感じる。ひとの日々の暮らしを構成するさまざまな作業を治療・援助の手段とする作業療法は、生活、労働、余暇、作品、生産、報酬‥‥といった平凡で日常的な問題が、治療・援助という非日常的な構造の中に入りこんでくる。その平凡さと日常性ゆえに、専門分化することでめざましい発展を遂げてきた近代医学から科学性を問われ、前世紀の後半、世界の作業療法界は理論やモデルの構築に大きなエネルギーを割いてきた。しかし作業療法は、業務独占ではなく、名称独占として位置づけられているように、本来ユニバーサルデザインなのである。作業療法の理論やモデルをユニバーサルデザイン化し、その中で機能するプロフェッショナルが育ってこそ作業療法の未来はある。
                            日本作業療法士協会ニュース 260、2003/9
 ZIZI-YAMA