「精神障害と作業療法」にもどる
 「あっ、お地蔵さんや」 桜にはまだまだはやい、風光るうらうらと晴れた早春の昼下がり。三千院の苔むした庭の片隅に、小首を傾げるように寄りそう小さな石の地蔵さんが2つ。
今にも芽吹かんばかりに膨らんだ木立の間からこぼれた陽をあびて、笑みを浮かべている。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 「ええなぁ、石のお地蔵さんでも、ちゃんと自分の居場所もってはる」
と、人目が気になるKさんがポツリと言った。みんなの足が止まる。だれも返事ができずに沈黙。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 「わたしぃ、人間やのに、この病気になったばっかりにどこにも居場所なんかあらへん‥」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥
いつも幻聴と過ごしているTさんが、
 「Kちゃん、お地蔵さんになるかぁ?」
 「いややわ、そんなん」「居場所があってええけど、お地蔵さん歩かれへん。わたし人間やし、自分の好きなところに歩いていきたいわ」
 「そやなぁ、好きなとこ、行けたらええなぁ」
‥‥‥‥ ほっとした空気が流れ、みんな歩き始めた。
                                          
〔作業所のメンバーとの散策で(山根、2003)より〕 
 病いと生活
 「医」の歴史は、私たち人間の健康を脅かし不安におとしいれる内外の敵(病気)との戦いの歴史であった。「戦い」という表現がそのまま納得できるほど、いつの世も、人間にとって病気(sickness)は不安と恐怖を引きおこすものの一つである。なんとか治りたいと願う、なんとか治そうとする。その医学と病気(sickness)の戦いのなかに、人間の疾病観がみえる。

                       

 病気に対しては、「疾患(disease)」と「病い(illness)」という2つの見方がある。この2つの見方がリハビリテーションの実践にとってどのような違いを生むのだろうか。病気や障害がある人の生活、生きがいや生き方に目を向けた援助をおこなうリハビリテーションにとっては、対象として客体化されてきた「疾患(disease)」と「疾患の治癒」いう見方から、「病い(illness)」と「病む人の生活、人生」という見方に換えることが必要になる。「疾患(disease)」から「病い(illness)」という見方に換えることによって、「普遍性・論理性・客観性」といった自然科学的な見方から「個別性・多義性・主観性・相関性」といった個々の事実に目を向ける現象学的な見方が可能になる。

 病む者にとって、病い(illness)は、それが精神的なものであれ、身体的なものであれ、日々のくらしや生き方にまで影響する主観的な体験である。「健康という幻想」の呪縛、「治る・治す」ということへのこだわりを捨てるしかない、という現実に向き合い、ひとは今、自分の病気を治療してもらう患者という受動的な対象から、病気をどのように引き受けて生きるかという生活者としての姿勢が問われる、主体的な対象となった。


  「リカバリー」いう概念
    「治る」「治す」から「病いを生きる」
  なんらかの状況因が負荷としてかかり(stressor)、自分を護るために主体性は低下し自己を覆い隠し病いの殻に閉じこもる(cover)。その結果として日常生活や社会生活におけるさまざまな関係を失い、活動や参加に支障が生じる(disability)。その病気にともなう制限や制約があるなかで、自分と対峙し、とらわれに気づき( discover)、自分の考え方、物事への取り組みや生きる姿勢、価値観、感情、目的、生活における技能、役割などが変わり(recover)、自分の生活の再建に向けて主体的に取り組み、試みる(independent approach)課程といえる。
 

                  

  
 健康と障害
  精神障害ということばは、いろいろなニュアンスをもって語られてきた。いわゆる精神病と称される精神疾患の総称として使われたり、精神機能の異常をさして使われることもある。精神疾患に対する誤解や誤解から生まれた偏見・差別もあり、いわれのない偏見・差別により人権が侵害されることもある。

 精神の病いとは何だろう?
 精神の障害とは何だろう?
 身体の障害と何が同じで,どこが違うのだろう? 
 作業療法で何ができるのだろう?

障害のとらえ方
  身体の障害が、からだのはたらきの不自由(身体機能の障害)から生じるものであるのなら、精神の障害は、脳のはたらきの不自由(精神機能の障害)から生じるものといえよう。障害については、病いや障害は個人固有のものとしえではなく、環境など背景因子との相互性としてとらえる国際生活機能分類(International Classification of Functioning、 Disability and Health:ICF)が共通の概念、モデルとして使用されている。
 ICFに関しては「ICF:国際生活機能分類」(太文字をクリック)を参照。


精神の障害の特性
 精神障害は、身体の障害など他の障害に比較して、
   @ 病気と障害が共存している              (病気と障害の共存)
   A 障害はそれぞれ独立して存在する            (相対的独立性)
   B 障害は相互に影響する                 (障害相互の影響)
   C 環境、特に人的環境により変化する          (環境との相互性)
   D 機能障害も固定されたものではない           (障害の可逆性)
あわせて、
   E 長期入院による二次障害の可能性が高い    (二次障害の可能性)
   
   F 病名がつくことによる社会的偏見・差別がある  (偏見・差別の存在)
といった特性がある


病いと症状

 身体の障害であれ、精神の障害であれ、症状は現れ方こそ違うが、いずれもなんらかの対処が必要という、その人を救うための知らせである。正常と認められない状態を異常とみるより、正常でない状態の程度を知らせるサインとして受けとめ、症状が語るものをしっかりと聴きとることが必要である。


                         

ストレングスの視点−脆さを生き、健やかさを活かす
 ひとは、身体的にも精神的にも「脆さ(weakness)」と「健やかさ(strength)」を併せ持っている。「脆さ(weakness)」は心身の危機を感じとるセンサーのはたらき、「健やかさ(strength)」は個の命や種の存続に必要な力。

                      
                                     
 「脆さ(weakness)」だけに焦点をあてた対処では、活動の制限や参加の制約といった個々の生活上の問題の解決はできない。「治る」というより「脆さ(weakness)」を生きながら「健やかさ(strength)」を活かすことにより、日々生じる問題と主体的に対峙し、どのような生活をしたいのか、活用できるものを活かしていくという視点が必要になる。
 ストレングス・モデルは、障害というネガティブな見方から、プラス面とマイナス面を含め、状態として利用者をとらえる国際生活機能分類ICFの考え方に近い。人も物も制度も、工夫し、試行し、支援の仕方も、公助から補助、そして自助へと、個人の主体的なリカバリーの道を支えることを志向する。

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 **詳細は『精神障害と作業療法』第3版pp.1−26