「身体と作業」に    「作業をもちいる療法の基礎」に 


    


 東洋思想においては、精神(心)と物質(身体)を明確に分ける二元論的な考え方はなく、わが国では、鎌倉時代の初期に臨済宗を伝えた禅密兼修の僧栄西(1141-1215)の「心(しん)身(しん)一(いち)如(によ)」が理想とされてきました。禅における修行は、厳しい拘束を自己の心身に課し身体で覚え込む、体得によって悟り(意識の開け)の境地に達するというものです。道元(1200-53)も、その著「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう))」で「身と心とをわくことなし」といい、修行のはじまりは身体のあり方が心のあり方を決めていくことにあるとしました。

 このような禅の修行における身体で覚え込む体得の思想は、芸の道でも稽古に取り入れられるようになりました。室町時代初期の猿楽師世阿弥は、猿楽、現在の能を完成させ、多くの書を残したが、その能楽論「風姿花伝(ふうしかでん)」において、「心」の動きと「身体」の動きを一致させることが能の稽古や修行であると書き残しています。心と身体の相互性を考慮するだけでなく、身体を整えることで精神を整える、そうした心身一如における心と身体のありようは、作業療法の効果の重要なエビデンスに通じるものがあります。 

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