ひとと音・音楽に 

 

                  
                    


 私たちは、さまざまな音に囲まれています。自然の音は、私たちにとって環境であり、情報です。鳥の鳴き声、虫の音、風の音、雷鳴、地鳴り、足音、衣擦れの音、このような生活の中の音は、私たちが生きるうえで必要なさまざまなことを知らせてくれます。そして、自分が発する音、声音も、自分の思いを表し、伝える情報の一つといえます。

 そうした自分を取り囲む音、自分が発する声音は、より豊かに、より深く、その
情動を表出し、思いを伝えるために、動物からヒトへの進化にともない、「うねり」や「ゆらぎ」「リズム」などをともなった表現手段となったのです。音楽の起源は諸説あるが、このようにさまざまな思いを表し、生老病死や労働、日々のくらしの苦しみを和らげ、自分の力を超えた自然との折り合いに向けて神仏に祈り、さまざまな思いを伝え、交わる、こうした表現行為が音楽を生みだしたものと思われます。   


情動表現と音楽
 共通の意味記号としての言葉をもたなかった時代から、ひとは、唸り、泣き、叫び、笑うといった声音により、怒りや恐れ、喜びや悲しみなどの気持ちを表してきました。声にして発する、それは精神的な指向であるとともに、発声という声帯の振動やリズムなどの身体性を併せもっています。その精神性・身体性が、ひとの気持ちを静め、慰め、高ぶらせ、伝える重要な機能をもっていることを、ひとは経験的に知っていて、無意識のうちに、ときには意識的に利用してきたのでしょう。
 そして情動を表出する声音が、発生機能や言語の発達にともなって音階へと変化し、音楽が生まれ、さらに、声音のリズム、ゆらぎをより豊かにふくらませ、その表現を助ける道具として楽器が生まれたと思われます。 
   
                    祈りと音楽
 

狩猟や採取の生活はもちろん、農耕牧畜も、ひとが生きるために必要な食料を確保し、災害や病魔から身を守るためには、季節や自然をはじめ人間の力の及ばない摂理に従わざるをえません。そのため人々は集まり、共に祭祀をおこない神仏に祈りました。感謝、祈願、畏敬の念としての神仏との交流(祭り)において、祈りはその思いが強ければ強いほど一種のトランス状態をともなったものと思われます。
 
伝え・交わりと音楽 
情動表現や神仏への祈りとともに、ひとの生活にとって重要なこととして、気持ちの伝えと交わりがあります。ひとは命を保つ食料を得るための農耕や狩猟において、集団を形成し、声を掛け合い、共同作業をおこなってきた。個の命や種の保存のために、協力して闘い、危機を乗り越え、生産するために共に鼓舞したり、愛の相手を獲得するために性的興奮を高めるリズムや歌、踊りがありました。
 これらの原始的な音楽が、やがて民族音楽や民俗音楽に進化し、さらには、恋愛によって生じる情動や生活の中の歓喜、悲哀、苦痛などさまざまな情動がより人間的な情緒の世界を表現する芸術としての音楽を生みだしたものと推測されます。