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 2015/3 出版のお知らせ 3月15日に「ひとと作業・生活」の新版が出ました

 
   作業をもちいる療法は,ひとが失い,奪われた身体,生活や社会とのかかわりを取りもどし,生活をふたたび建てなおすために
   ,日々のいとなみに必要な「生活行為の再体験」の場と,病いを忘れひとときの安らぎをもたらす「良質な休息」の場をつくる。ひ
   とは,その場で安らぎを取りもどし,作業を通して自己と向き合い,身体が「わが(思う)まま」に動いてくれるかどうかを確かめる
   .そして「ともにある身体」として確かめられ,リアルな存在,意味ある「からだ」として取りもどした身体により,生活の回復,再
   建がなされる.
   作業療法の道に入って30余年,学びのはじまりから,ひとにとって作業とは,ひとが作業をするとは何か,作業をするためにど
   のような心身機能が必要なのか,作業をすることが心身にどのような影響を及ぼすのか,作業をもちいたはたらきかけとは,そ
   の効果はと問い続けてきた.そして作業療法の科学性が問われるなかで,ひとと作業の関係を,だれにでもわかる「ことば」に
   したいという思いがいつもあった.
   その思いが,初めて形(『ひとと作業・作業活動』初版)になったのは1999年春.それから16年,私の生活経験が重なったこと,
   非侵襲的な脳機能測定の進歩や作業研究の広がりなどにより,経験として体感していたものの背景が明らかになったことがた
   くさんある.そのため,改訂をするか新たな書籍とするかと迷ったが,初版のときに抱いた
 思いとひとと作業のかかわりの探求という軸は変わらないため,その基軸を継承し,『ひとと作業・作業活動』新版として形にすることにした.
 2014/5 出版のお知らせ 6月14日に「目からウロコの作業料理の本:作業療法覚書」が出ました


   日々の暮らしの中にある生活行為(作業),どこにでもあり,誰もがしていることですが,少し手を加えて料理すると,三つ星作
   業料理(注1)(作業プログラム)に大変身します.一度食べたら目からウロコがポロリ.二度食べたらくせになり,三度食べたら
   ,きっと自分で料理してみたくなります.この「目からウロコの作業の本」は,作業療法の手段である作業をどうとらえるか,作
   業療法における作業の考え方を示すことを第一の目的に,私が実際に作業料理人(注1)(作業療法士)として提供してきた身
   近な作業のもちい方をいくつかまとめたもので,正式名称は「秘伝目鱗的作業料理覚書」といいます.
   読めば,目からウロコがポロポロ.どこにでもある暮らしの中の素材を,その素材がアフォードしているものを素直に受けとめ
   ,少し工夫してもちいれば,それがそのまま,「こころ」や「からだ」の歪みを糺してくれる作業料理(作業プログラム)に大変身
   するのです.そんな作業の料理の仕方から食べ方(作業療法の実践)までわかりやすく紹介しようというのがこの本,至れり尽
    くせりのレシピ満載の作業の本です.
  *目次はこちら

2014/2 韓国語訳出版

  
 これは、山根ゼミで日本の精神科作業療法を学んだ韓国のオム・ユンジョン作業療法士が、まだ精神科領域における作業療
   法が正式に認可されていない韓国に作業療法士による精神科作業療法の教育と臨床を広めたいという行動の一環として「精
   神障害と作業療法第3巻」を単独翻訳したものです。韓国語に訳すために、韓日の文化や歴史、法制度の違いなどを山根が
   説明し、韓国の皆さんにわかるようにオムさんが翻訳、そして韓国の国文学者であるオムさんの父上が韓国語として適切か
   どうかのチェックをしてくださった。よくある翻訳はされているが意味がわからない類いの翻訳本とはひと味もふた味も違いま
   す。
   日本の精神科作業療法の臨床を通して、両国の学術交流の進展を期待します

 


2013/6 出版

  
 ひとは生きるために作業をする。作業することで成長する。作業することで不安を軽減し、生活を楽しむために作業をする。
   作業療法とは、そのだれもが生きるために日々おこなっている生活のいとなみ、その人にふさわしい生活を送るために必要
   な作業行為ができるよう手を添えることである。
   作業をもちいる治療・援助のすべてが対象者とのかかわりのなかにある。基礎研究から得られた理論もモデルも、臨床を通
   した検証を抜きには成り立たない。
   作業療法は、臨床に始まり臨床に終わると言っても過言ではないだろう。だからこそ今、『臨床 作業療法』なのである。本書
   は1980年代初頭から作業療法の臨床、教育、臨床研究に携わってきた体験を通して得た『確 からしさ』を書き留めた、臨
   床の覚え書きである。 

 2013/6 出版

   突然の京都大学の教養教育改革を受けて、大学教員はどのような思いを語り、ゆとり世代と呼ばれた学生たちは何を議論し
    たのか?
   学生たち自らが企画し、大学教育とは何か、教養教育とは何かを問い、議論した、読者を対話へと誘う白熱の大学論!

   そんな学生の熱い思いに惹かれて、書き下ろし「学び方を学ぶ時代に」pp.88-92
2011/6 出版

 病いや障害を生きる。深刻になりかねない話も、茶(さ)話(わ)談義のように語られるのが、冠難辛句。そうした冠句という形を借りて話された心の内を、「冠難辛句」という題そのままで、『臨床作業療法』の前身『精神認知とOT』の第23巻3号から5年半、33回連載する機会がありました。それをまとめて1冊にしました。
 長い入院生活や療養生活の支援のなかで語られた、病いを生きる人たちの言葉は、ほろ苦く、しかし、弱さの力のような、柔らかなしたたかさがあります。ときには、治療・援助者として寄り添う者の「心の臓(しんのぞう)」に、グサリとくるような、鋭くも小気味よい言刃(ことば)もあります。直接自分の気持ちを伝えるには重すぎることや上手く伝えきれないことが、冠難辛句の力を借りて、一片の言の葉(刃)でサラリ、キラリと…。
 
        青海社
 2011/6 出版



 作業とはなにか? ひとが作業するとは?と問い続けて生まれた雑多な文を整理してみた。そうしたら、ひとが何か作業をする、作業活動ということをどのように考え、使っているかといった「作業療法の知」に関連があるもの、そうした作業療法のプロセスにおける治療・援助関係をどのように作るのかといった「作業療法の技」に関連がありそうなもの、そして作業療法という治療・援助構造やそれが展開されるひとの集まりや場など、作業療法のスピリットというか「作業療法の理」に関連するようなものが幾つかあった。
 作業療法の知と技と理、それをそのまま本の題名にし、「作業療法の知・技・理」という一冊の本ができた 。


  目次はここをクリック




       金剛出版
 2010/3/16 出版

  「精神障害と作業療法」第3版。初版は、精神保健福祉法」(1995)により自立と社会参加が謳われ、その具体的な推進にむけて障害者プランの実施が始まった1996年の10月の脱稿でした。そして第2版は、「障害者基本計画」により共生社会が唱えられた2003年の3月に改訂しました。あれから7年あまり、「精神保健医療福祉の改革ビジョン」(2004)により、「入院医療中心から地域生活中心へ」精神保健医療福祉体系の転換がはじまり、従来のあり方が行きづまりはじめている今、転換可能な未来を見据えて改訂しました。

 第3版は、作業療法という仕事を生業とするきっかけになった「病いや障害があっても町で暮らすという視点を基軸に、「治る・治すから生きるへ」と、さらに指向を明確にしました。基軸を変えることなく、今述べてよいことを整理したら、6、7割を書き換えた上に総ページで3割あまりの増ページになりました。
 各章のまとめ、精神認知機能のチェックリストや用語解説を加え、初学者から臨床家、他職種、専門・非専門を超えてお使いいただける工夫をしてみました。
         三輪書店
僕が初めて執筆した書籍です。ある日突然、出版社から「精神障害に対する作業療法の本を書きませんか」と電話があり、書いたものです。
1997年初版。2003年第2版
2010年4月に第3版、基軸は同じですが大変身。
鎌倉矩子先生の「ねえ、今のテキストっておもしろくないわね。一人の作業療法士が自分はどう考えるということを展開する本を作ってみない」と誘いから生まれました。1999年初版、2005年第2版 鎌倉矩子先生たちとの監修シリーズ。作業療法の介入手段である「作業・作業活動」と「ひととその集まり」の利用を表したもので、パラレルという概念を産みました。
2000年初版、2007年第2版
作業療法の治療機序と治療・援助関係という、作業をもちいる療法の輪郭となる最後の言語化です。上記3冊とあわせて作業療法の基軸を構成するものと思っています。
2008年初版
初めていただいた「精神障害と作業療法」という仕事、それで終わりと思っていたところへの鎌倉矩子先生のお誘い。それをきっかけに、作業・作業活動を介入手段とする療法、その平凡で豊かなかかわりを、どのように表せばよいかという自問自答をことばにしていたら、この4冊になりました。
その他は、これらの周辺で生まれたものです。 
ひとにとって音楽とは、なぜひとは歌うのか、奏でるのか、音や音楽がひとにもたらすものは何か。音や音楽、音楽に関連する諸活動を、ひとと音楽の原初の関係から見直す共同作業により生まれた。
ひとにとって植物とは、なぜひとは植物を育てるのか、緑に安らぎを感じるのか、ヒトからひとへの進化の過程と植物の関係にまでさかのぼり見直す共同作業により生まれた。 作業をもちいる療法,、体験した確からしさをどのように伝え確かめればよいか、その言語化の試みのなか、作業する「からだ」から、こぼれ出てきた「ことば」を集めて生まれた 『治療・援助における二つのコミュニケーション』この最後の課題の言語化により、まだ、ことばとして生まれていなかったいくつもの思いが、ふたたび姿を現し始めた。そのあらたな「ことば」のこぼれを集めた。
ひとの一日は、さまざまないとなみによって成り立ち、思わぬ病いや障害は、日々のいとなみに支障を来たし、参加を妨げ、人生のつむぎにほころびを生む。病いや障害によりどのような支障が生じるのか、病いや障害の日々に生活や人生への影響、それに対してどのようにアプローチするかをまとめた。
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