ひとと音・音楽に 
 
 時の流れは、気候や地形や民族の違いを超え、祝いの音楽、悲しみの音楽、戦いの音楽、儀式をつかさどる音楽、病魔や悪霊を追払うシャーマンたちの音楽など、さまざまな形式の「形あるもの」に作り上げていく「術」をひとに与えた。
 ひとにとっての原初の音楽は、本書の第1章でも述べたように、ひとが生まれ、老い、ときに病み、その一生を終えていく日々のくらしの中で、苦しみを和らげ、祈りを助け、喜びや悲しみ、そのさまざまな思いを表し、伝えるために、必然的に生まれたものである。その音楽が、それぞれの民族の文化背景において、その音楽行動・様式をもつようになり、職業音楽家により作曲がなされるようになった。 
                                                                                









 
 ひと・生活・音楽


 




                 

 

  竹田の子守歌の由来

  ・京都、大阪の被差別部落に伝わる子守歌(子守の仕事をしている子供の労働歌
  ・住井すゑの『橋のない川』の舞台化にあたり京都の竹田地区で採集した民謡を編曲したもの
  ・1969年フォークグループの「赤い鳥」が演奏し、ミリオンセラーになる
  ・被差別部落絡みの楽曲であったため、日本の放送局は「放送禁止歌」として封印
  ・1990年代に封印が緩和、紙ふうせんや多くの歌手が歌うようになった



                     
    


                     


                  
 宗教・労働・芸能

宗教と音楽
 キリスト教の「典礼音楽」、仏教の「声明」「雅楽」「伽陀」「御詠歌」などは、経説の伝承を目的としてものが、高度な儀式音楽として発展したものです。歌念仏や御詠歌なども、仏教の教理をわかりやすく民衆に説く手段の一つとして生まれた仏教歌謡です。
 人智の及ばない力にすがるとき、日常(ケ)とは異なる、また日常を離れるためのトランス状態になるための儀式や祭り(ハレ)が必要でした。そのケからハレへの転換、トランス状態になるために音楽は欠かせないものだったのです。すべての宗教に音楽がある理由がここにあります。
 
労働と音楽
 民謡の多くは、労働能率を高める拍子歌の一つ労作歌として生まれたものです。労作歌には作業を効率よくするためのものものと、労働に対する休養としてのものとがあります。たとえば、田植え田楽、木挽き歌、茶摘歌、酒造歌、山歌などは前者に、長持歌、牛追歌などは後者に属します。これら労作歌は、現在、民謡という形で残っています。
 奴隷解放後、抑圧感情を吐き出すように歌ったブルース、それを基盤としたジャズは、キューバやハイチから奴隷として連れてこられた南部の黒人たちや、彼らと白人との混血クレオールたちから生まれたものです。このブルースやラテン・アメリカ音楽を背景にもつジャズは、商業音楽へと性格を変えていますが、理不尽な労働で抑圧された感情の発露としてのルーツを失ってはいません。ジャズと津軽三味線のリズムの類似性、それは貧苦を生き抜く魂の響き。形がどうであれ、働く苦しみを生きる力に変えていく、そこには必然的に音楽が必要であったでしょう。

芸能としての音楽
 古代のシャーマニズムを母胎として、神事の祈願行為が、伝統的、民俗的な技能として認められるようになったものが芸能です。舞楽・能狂言・歌舞伎などの伝統的な芸能から、語りもの、大道芸まであります。芸能は一回性のもので、演じられると同時に消滅し、それを見聞きする人がいて、はじめて成立する社会的な営みといえます。
 平安時代に始まり、第二次大戦頃まで残っていたと思われますが、村々を回り、正月や祝いごとの際に、家々の座敷や門口で祝言を述べる門付芸の一つの万歳や猿回しなどが日常的にありました。こうした芸能が一般の人たちにも広まり、祭りや集まりで芸を披露することで生活の安息や繁栄を祈ったり、民俗芸能として伝承されています。
 ひとは、日々の生活(ケ)の苦しみや疲れから離れるため、トランス状態になるための儀式や祭り(ハレ)が必要で、そのケからハレへの転換を助けるのが芸能です。労働歌から民謡、ブルース、ジャズが生まれたように、ひとは日々の生活を乗り越えるために芸能といわれるものを必要としたのでしょう。芸能は、美の本質を追究する芸術とは異なり、大衆の生活のなかで生まれ育ったものです。
 
     詳細は「ひとと音・音楽」(青海社,2007)