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1965年に「理学療法士及び作業療法士法」が成立(法律第137号)し,1966年に国家試験実施、同年9月25日に日本作業療法士協会が設立され,半世紀50年が経つ. 私は,この作業療法士誕生の50年の歴史を編纂して残す作業の編集委員長を拝し,作業にあたってきた.諸資料の収集と整理,資料のないものはその事実を知っている先達から伝聞を含めてまとめるという一連の作業を終え、その黎明期から今日に至るまでのわが国の作業療法がほぼ繋がりを見せた. この編集作業は,2012年に日本作業療法士協会50周年の記念事業の一環として行われた.2013年3月企画案が提出され,当時副会長であった私を委員長に杉原元協会長,富岡WFOT代理,荻原事務局長,苅山理事による編集委員会が結成され,歴史的資料として残る「50年史」としての作業が始まった.この作業の結果は「日本作業療法士協会五十年史」として刊行されたが,紙面の都合で割愛されたものや文字化しにくいものもあった.その中で重要な経緯に関するものとと編纂と文字化の中に埋もれた歴史的事実を,ここに「作業療法-歴史の検証と秘話」として残す. 2016年(平成28年9月25日)の50周年式典を終えて |
年表:日本作業療法士協会の歩み クリックエクセル年表 |
*作業療法士養成前史 ・ 1950年代GHQの命令で医師小池文英が海外のリハビリテーション視察 ・ 1963年「PT・OT身分制度調査打合会」発足 ・ Physical TherapyとOccupational
Therapyの和訳語が決まっていないためPT科、OT科という名称で1963年5月に国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院開 |
歴史の秘話 いろいろな物事が決まっていくときには、さまざまな検討が成されるがそうした経緯は残されずに結果だけが残り取りざたされるものが多い。そうした経緯は文字として残されていなかったり、資料を目にする機会がなくなったものもある.ここでは伝聞や聞き書き埋もれた資料の中で目にしたものなどから大切と思われることを順次取り上げる。そのため私自身が確認したり直接関係者から聞いたことには○、伝聞で私にとっても二次情報にあたるものに△印をつけることにする。 |
*「作業療法」という名称 ○ 「作業療法」という名称がが誤解を招く原因なので名称を変えた方がいいという声を作業療法内外からみみにするが、なぜOccupational-therapyの和訳語が「作業療法」になったのか。これに統一される前には、職能療法、職能訓練、それまで精神科系の「生活療法」の中で作業をもちいたものに対して使われていた作業療法、仕事療法などが候補として検討され、1965年の法制定時には「作業療法」で統一された。 *「生活療法」の功罪 ○ 「生活療法」は、医師小林八郎によって1956年(S31)に提唱されたもので「くらし療法」とも呼ばれた。生活指導、レクリエーション、作業(仕事)をそれぞれ「しつけ療法」、「あそび療法」、「作業療法」(「しごと療法」または「はたらき療法」とも)をと称して総括したもの。開放看護と患者の自治活動と一体となり、当時の閉鎖的で沈殿した病院を活性化した。しかし精神医療の歴史に不幸な傷跡を残した精神外科(前頭葉にメスを入れる精神外科手術で人格の荒廃をまねいた、通称ロボトミー)がその体系化の契機となったともいわれ(藤沢,1973)、1954年(昭和29年)に始まった抗精神病薬の使用、1960年代半ばからの精神病院ブームのなか,精神医療従事者の不足を補うように,理論的に未整理のまま瞬く間に全国に広がった。その急激な広がりのなかで、本来含まれていたであろう生活経験の学習、主体的な生活の獲得という目的は形骸化し、生活療法は集団生活管理の手段となった。生活療法は、その後20年あまりにわたっておこなわれた。@ 抗精神病薬により精神症状が軽減され病棟内で安定する人たちが多くなった、A 戦後の経済状態のなかで、作業内容も入院患者の食糧生産に重点がおかれ、患者の労働力をあてにせざるをえない状況があった、B 1950年の『精神衛生法』施行にともなう精神病院建設ブームのなかで職員が不足し,患者の集団管理や病院業務の労力不足を補うのに都合のよい理屈が必要であった、といった時代的な背景があっってのことである。 → 関連文献 「精神科作業療法の現状と課題」。日本精神病院協会雑誌25(4)、18-23、2006 「作業療法の盛衰に映る精神障害者の尊厳」、精神医療19、 61-66、2000 「日本の精神科作業療法の歴史と現状」大韓作業治療師協会学術誌、2010 わが国の作業療法の成り立ちと歩み「精神障害と作業療法 第3版」pp.37-43,三輪書店.2010 →2017/3新版刊行予定 *1974年の「作業療法」診療報酬点数化の裏話 △ 「身体障害作業療法」「精神障害作業療法」「精神科デイケア」が診療報酬点数化されるときの検討事項で、精神障害作業療法が、1人の作業療法士が、一人以上の助手と共に、1単位2時間を標準に25名、1日3単位、計75名まで対応できるとなった背景で、当時の関係者の裏話として聞かされたこと。当時参考にされた米国の作業療法も作業療法士が作業療法助手(OTA)と一緒に作業療法をしており、米国で資格を得た作業療法士の話では1日50名位、わが国の生活療法で参考にされた三重県高茶屋病院で特例の作業療法士が作業指導員10名位を指揮して、各指導員が作業種目ごとに10数名指導していた生活療法の形式を受け継いだ実績から、同じようにOTAをマネジメントして行えば100名位は可能ということから、検討がなされ、50名は少ない。100名は多すぎるということでその間を取って、一人以上の助手と共に1日75名に決まったと聞いた。それが現場では、1名以上なら1名で法律違反ではないという判断から、いつの間にか作業療法士は1名の助手と共に1日3単位75名対処できるになった。この診療報酬点数化に対する日本精神神経学会の反対声明と2006年(H18) の改定で2単位50名になったことは、それぞれ新たな問題を引き起こした事項であるため別小目で紹介する。 *1974年の「作業療法」診療報酬点数化に対する精神神経学会の作業療法点数化反対声明について ○ 「1974年の「作業療法」診療報酬点数化に対して、日本精神神経学会は1975年の点数化反対声明は、1970年代の日本における精神医療改革運動の中で起きたものである。なぜ、点数化反対声明が成されたのか、当時の「作業療法」の現状を踏まえて少しその実状を紹介する。 → 当時の精神神経学会の活動:精神神経学会は従来の精神医療耐性の見直しや大学の教授が全権を握る医局制度の解体、生活療法の名の下に患者管理を行っていた悪徳病院の告発など, 精神病者の人権擁護を目的とする活動を行っており,そうした諸々の問題による紛糾した1969年の金沢学会をきっかけに精神医療全体の改革運動へが始まった。 レインやクーパーの精神病は資本主義構造の産物でそうした障害は存在しない精神病院不要論を主張する「反精神医学」の思想が紹介され、それに対し「反精神医学」に反対する医師との間 で論争が繰り広げられたた時代である。学会は1969年から1979年1979年まで学術発表は中止され,紛糾が続いた。結果的には精神医療と精神病院の改善という方向に向かったが,その経 緯の中で「作業療法」点数化反対声明が1974年の学会で出だされた。 参照論文クリック @ A B C 以下作業を継続 新連載 → 当時の「作業療法」の現状: → 「作業療法」点数化反対の内容: → わが国の「作業療法」はどのような影響を受けたか: → 当時の作業療法士の反応: → その後の経緯: |
正しい解釈のために 「作業療法」は法や認可基準などによりじしされているが、その解釈が曖昧なままであることが多い。この項ではそうした法や基準の解釈について述べる。 |
*作業療法は医師の処方?指示?○ 「作業療法」は医師の処方に従って行うものという固定された理解をする人がいるが、厚生省医務局医事課課編『理学療法士及び作業療法士の解説』(1965)に明示されているように、「医師の指示の下に作業療法を行う」とは、作業療法個別の業務においてその都度指示を受けることを想定したものではなく、医業の領域に属するものについて義務規定ではないが医師の指示ないし指導を受けるというもの。 病院または診療所以外の場所で行う場合は医師の指示の元にという義務規定はない。 |
工事が始まりました.作業は順次継続されます. |