ZIZI-YAMA WORLD HP トップページ 「ひとと作業・生活」研究会SHOL :精神障害と作業療法 集団・場 認知症・高齢者 作業・作業療法 治療・援助における二つのコミュニケーション :植物・園芸,音・音楽 |
精神障害と作業療法 |
「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークでトルネードが起こる」。通常なら無視するような小さな違いが、時間の経過で無視できない大きな違いになる。バタフライ効果といわれる、カオス力学における現象を比喩したものである。気象学者のエドワード・ローレンツの講演『予測可能性−ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか』に由来すると言われているが定かではない。 由来や哲学的論議はさておき、教育も臨床も、従来のあり方が行きづまりはじめている作業療法の世界に、バタフライ効果を期待する。「どうせ」「自分一人が」といった思いを捨て、自分にできること、自分ができることをする。手抜きのない臨床の積み重ねと、積み重ねた事実を表現する、その一人ひとりの羽ばたきが世界を変える。 |
書籍「精神障害と作業療法」解説 ひとと病い :病気とは何か 健康とは何か 精神の病いと作業療法 :精神の病いの処遇の歴史と作業療法 作業療法の視点 :精神障害に対する作業療法の基本的な考え方 治療・援助構造と治療機序 :作業療法はどのような要素から成り立っているか 作業療法の手順 :作業療法の基本的な手順と評価について 作業療法が行われる場 :以下工事中 精神認知系作業療法の基礎知識(理論の枠組み):現職者研修で用いた資料の提供 |
精神医学の講義の代講で、精神科作業療法の対象となる主な精神認知機能障害に見られる心身機能の障害、活動や参加とその制約・制限、及び精神認知機能障害に対する作業療法と関連のある治療理論や技法と作業療法との関係など基本的な事項を期間限定で講義することになったため、そのプレゼン資料を参考にupします. 9月の講義用up 1.精神認知機能障害に対する視点(ICFを基盤とした理解)と作業療法 クリック *ICFに関しては資料コーナーの「治療・障害構造」の「ICF国際生活機 能分類」を参照。クリック 2.精神医療・保健・福祉領域の治療・援助の動向と作業療法 3.統合失調症の生活機能障害 4.気分障害の生活機能障害 クリック 5.神経症圏の生活機能障害 クリック |
精神障害領域(医療、保健、福祉、リハビリテーション)に関連する講演・講義資料 @精神科作業療法の今後の展開と課題:2009年現職者研修資料として作成したもの A精神科作業療法の今後の展開と課題:入院中心から地域生活中心へと構造転換が図られる精神保健領域における作業療法は今後どのように展開されるのか,そしてそのための課題は何か(県士会講演資料) B目ざめよ!原点に帰れ!:愛知県CBOT研究会の講演資料.精神科作業療法が置かれている現状をざっくりと振り返り急性期を含め原点に帰って問い直したもの C精神科作業療法の動向と活用:2013/3/1秋田県第17回精神医療セミナーでも講演資料 D精神科作業療法のコツ:臨床精神科作業療法研究会20周年記念研究会シンポジウム E統合失調症:共生における作業療法士の役割と課題統合失調症学会シンポ2014/3 F統合失調症とリカバリー 第23回名古屋サイコソーシャルリハビリテーション研究会2014/5 G精神科作業療法とリハビリテーション:2013年度研修医講義資料 H精神医療と作業療法の歴史的変遷:2015年精神障害作業治療学各論T講義資料 |
精神障害領域(医療、保健、福祉、リハビリテーション)に関連する研究と報告 @幻想と現実の分離・再統合における作業療法の機能−分裂病性強迫障害 ・認知障害の事例より− 作業療法23(2),2004 Aからだの声に耳を傾けて聴くこころの声−身体化症状によりADL全介助となった少女の回復過程より 作業療法19(6),2000 B「ふれない」ことの治療的意味−汚言に葛藤する患者の対処行動と自己治癒過程より 作業療法 16(5),1997 |
作業療法を生業(なりわい)として30余年、生活行為(意味のある)をかかわりの手だてとする醍醐味が、自分の身体のなかに、すっと収まり始めているのを感じる。淡い期待の幻かもしれないこの感覚は、自分が意識して療法を提供していると思っていたときには感じることがなかったものである。 自分の手足を使って作業することで感じる「ああこれでいいんだ」、「なんとかなる」といった「確からしさ」。この「確からしさ」という感じ、それは単に精神論的なものではない。心身の機能であれ、日々の活動であれ、社会への参加であれ、その個人の身体感覚を基盤とするものである。作業療法の醍醐味は、そうした意味ある作業体験によって生まれる身体感覚的な収まりを、共有の体験をとおして、作業による身体性をとおして、対象者に提供できるところにある。それは「臨床知」や「暗黙知」などと表現されるものの基盤となるもので、「身体知」といってもよいだろう。 |