作業療法の詩  作業療法の詩・そしてまた


 

青海社,2008

  臨床の日々,作業をもちいる療法とは何か,自分が体験した確からしさをどのように伝えればよいか,どのように確かめればよいかを試みてきました.しかし,論理的に表そうとすればするほど,言葉数ばかりが増えるだけ.そのあがきのような言語化の試みのなか,作業する「からだ」から,専門の言葉をもちいない「ことば」がこぼれ出てきました.
 その「ことば」を集めて生まれたのが『作業療法の詩』(青海社,2007)でした.そして、この『作業療法の詩・ふたたび』は,そのときにまだ形になっていなかったものが,その後の言語化「治療・援助における二つのコミュニケーション」の言語化のなかで、「ことば」としてこぼれたものです。 


 





     
     
    
 
 
 
 
 
                     

 
目 次 
ふたたび
ことば

 ことば
 ことばの表情
 ことばの肌理
 ことばを手わたす
 聞こえません
 黙りが返事
 かんちがい
 だぁからぁ
 ことばと作業
 ことばの括り
 ことばのこぼれ
 はなす

かかわり
 共なるしごと
 澄ます
 まなざす
 共にある
 待つ
 聴く
 観る
 集める
 問う
 読む
 知る
 わからない
 はじまり
 深み
 end
ひと
 ひととまなび 身の丈
 みせよう  「しる」「できる」 
 ただ一つの
 わたし
 あなたって
 一者の関係
 二者の関係
 三者の関係
 ほどよい離れ
 ねえ ねえ

ひとと作業と療法と
 こころとからだを護る
 作業を通して
 作業をもちいる療法
 作業と身体
 身体と生活
 生命のリズム
 ゆらぎとひずみ
 老いを活かす
 病いも生きる
 こころの車いす
 こころを
 リンゴの絵
 風呂敷みたいな
 エビデンス

病いとともに
 と言われても
 重なる苦しみ
 ありがとうが口癖に
 ここで暮らして
 不憫?  心配だわ
 「今日」は暑くない
 まぼろしの
 どうして?
 ほんとうは
 時間泥棒
 もしかして
 父の日
 なんでやねん
 いやです
 言えなくて
 ひきこもり ボケの花
 このままここに

贈ることば
 みどりの指となって
 はじまりに 乾杯
 あなたの緑の指で
 茨の道に
 春に向けて旅立つ
 ひとと集団
 いずみの森
 光の春

「ことば」のこぼれふたたび
あとがき
 1982年に、作業・作業活動をもちいる療法の道を歩き始めたときから、「ひと」と「作業・作業活動」の関係を、だれでもわかる「ことば」にしたいという思いがあった。しかし、作業・作業活動の、あまりにも日常的な、あまりにも豊かな内容を前に、どのように表してよいのか手がつかないまま時が過ぎた。
 そして、1997年の『精神障害と作業療法』(三輪書店)にはじまり、1999年に『ひとと作業・作業活動』(三輪書店)、2000年に『ひとと集団・場』(三輪書店)と、病いや障害がある人たちの暮らしを援助する作業療法の基軸となる、作業、作業活動、場やひとと人とのかかわりなどに関する書を出す機会をいただき、「ことば」にする試みをしてきた。幸いにしてそれらの書は、それぞれ版を重ね、改訂も試み、言語化の最後の課題であった「治療機序」と「治療関係の構築」に関しても、2008年に『治療・援助における二つのコミュニケーション』(三輪書店)として形になった。
 そうした試みのなかで、論理的な文章にならない「ことば」のこぼれを集めて生まれたのが『作業療法の詩』(青海社、2007)だった。この『作業療法の詩・ふたたび』は、そのときまだ形になっていなかったものが、その後の言語化のなかで、「ことば」として形になりこぼれたものである。
 今回、自分が干支の五巡り最後の年にあたり、何かの締めくくりをと思っていた時、青海社の工藤良治社長が、ふたたびこのわがままを形にする機会をくださった。「六十にして耳順う」、真っ白な八重の山茶花(さざんか)の花が咲く耳順(じじゆん)の秋にいただいた贈り物。ありがたい。

                                                                         2008年、山茶花咲く耳順の秋、脱稿
  **詳細は「作業療法の詩-ふたたび」(青海社、2007)
作業療法の詩
このページの風景写真は「自然いっぱい素材集 」