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青海社、2007 僕が作業療法士になったわけ 一九六〇年代の終わり、自分の生き方は自分で決める自由を求めて、施設を出た重度の脳性麻痺の人たちがいた。その人たちの生活を支援しながら、病いや障害があっても町でくらす活動(「土の会」)を始めた。「ひとは土から生まれ、土に還る」、すべてを受け入れ消化し、新しい芽ぶきを助け、育んで行く「土」のような集まりでありたいという思いから名づけられた会である。 工学部を卒業後、船の設計の傍ら「土の会」活動を続けながら、それを自分の生きる主軸にしようと思うようになった。ボランティアのままではなく、何か専門の知識と技術をを手にしなければと、出会ったのが作業療法。しかし、作業療法が何かも十分理解しないまま、それでも何かこれまでの近代医学とは違う、ひとにとって大切なものが背景にあるような気がして、この道を学ぶことを決めた。 第三の医学という高い理念をあたえられ、作業療法士の資格を取得した。そして、病むこと、それは病いや障害を共に引き受けること、その「喪の過程」を学ぼうという高邁な思いを抱いて、精神系総合病院に就職を決めた。 平凡な豊かさに魅せられて 作業療法の道を学び始めたときから、いつも自分に問いかけてきた。それは、ひとにとって作業とは、ひとが作業をするとは何か、作業をするためにこころや身体のどのような機能が必要なのか、作業をすることが作業をする人のこころや身体(しんたい)にどのような影響を及ぼすのか、作業をもちいて働きかけるとは、その効果はと、つきることのない問いかけであった。そして作業療法の科学性が問われるなかで、ひとと作業の関係を、だれにでもわかる「ことば」にしたいという思いがあった。 病いや障害は、生活という視点からみれば、日々のいとなみとしての作業の障害。その作業の障害に悩む人に、作業を通して、生活の再建に向けた自律と適応の手助けをする。その平凡な豊かさに魅せられたのである。 作業と身体 私たち一人ひとりは、ただ一つの身体をもって生まれ、自分の思いを伝え、実現できるのも、その身体を通して成り立っている。私が存在するということは、私という身体を生きているということにほかならない。 予期せぬ病いや障害による自分と身体の関係性の喪失は、生活や社会とのかかわりを奪う。作業療法は、その失い、奪われた身体、生活や社会とのかかわりを取りもどし、生活をふたたび建てなおすために、日々のいとなみに必要な「活動の再体験」の場と、病いを忘れひとときの安らぎをもたらす「良質な休息」の場を提供する。 ひとは、この作業療法が提供する活動と休息の場で、主体的に作業に取り組むことを通して、身体が「わが(思う)まま」に動いてくれるかどうかを確かめる。そして「ともにある身体」として確かめられ、リアルな存在、意味ある「からだ」として取りもどした身体を基盤に、生活の回復、再建がなされる。 予期せぬ病いや障害に起因する生活の障害とは何か、失われた生活の再建はどのようになされるのか、その源流をたどる歩みは、作業から身体に至り、そして身体からふたたびひとと作業の関係に巡り戻ってきた。 いつしか作業療法が趣味に 作業から身体、身体から作業へ、失い、奪われた身体、生活や社会とのかかわりを取りもどすプロセスは、作業を介した自己と身体、身体を介した自己と生活とのコミュニケーションプロセスといってもよい。 特別な場や手法をもちいない、作業という平凡で豊かな日常性が、人間の自然な治癒力を引きだし、病いを「治す」ということから「治る」、さらには「病いを生きる」という視点を照らしだす。 ひとにとって作業とは、ひとが作業をするとは何か、作業をするためにこころや身体のどのような機能が必要なのか、作業をすることが作業をする人のこころや身体にどのような影響を及ぼすのか、作業をもちいて働きかけるとは、その効果はと、平凡で豊かな作業療法に魅せられた試行錯誤の探索の道を歩くなかで、いつしか作業療法が趣味になっていた。 確からしさを「ことば」に 十分なテキストもなく、先達も少なく、それぞれが開拓者のように道を開くのに精一杯の時代に歩き始めた作業療法の道であった。先達の労苦もまだ報われる形にはなってはおらず、漠然としたかすかな期待だけがあった。 輸入された知識と技術、関連する学会で報告された臨床技法、それらを可能な限り、追試し、自分で確かめた。ときには患者さんたちに、「このような方法があると聞いたが、本当に効き目があるかどうか確かめてみたい」とお願いして試みたものも数知れない。 あれから二〇数年、まだ、のっぱらにわずかな通り道ができた程度だが、この国の文化として作業療法の道が少し見え始めようとしている。錯覚かもしれない。 その臨床の日々、作業療法とは何か、自分が体験した確からしさを、どのように伝えればよいか、確認すればよいかを考えるなかで、作業する「からだ」から、専門の用語や意味記号としての言葉をもちいない「ことば」がこぼれ出るようになった。 そうした作業療法士になってから数年の試みのなかで少しずつ書きため、試みててきたものをまとめなおしたものが、『作業療法の詩』(青海社、2007)になりました。 |
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作業療法の道を歩き始めたときから、「ひと」と「作業・作業活動」の関係をだれでもわかる「ことば」にしたいという思いがあった。しかし、作業・作業活動のあまりにも日常的な、あまりにも豊かな内容を前に、どのように表してよいのか手がつかないまま時が過ぎた。期せずして、1997年に「精神障害と作業療法」の初版を世に出す機会に恵まれ、とにかく作業を、作業療法を科学する小さな布石のひとつになればという思いから、それまでの経験で「ことば」にできるものを表現することを試みた。1982年に作業療法の世界に入ってから、15年が過ぎていた。 そして1999年に「ひとと作業・作業活動」、2000年に「ひとと集団・場」と、病いや障害がある人たちの暮らしを援助する作業療法の基軸となる、作業、作業活動、場やひとと人とのかかわりなどに関する書を出す機会をいただき、「ことば」にする試みしてきた。それらの書は、幸いにしてそれぞれ版を重ね、改訂も試みることができた。 本書は、そうした作業療法士になってから20数年の試みのなかで少しずつ書きため、試みてきたものをまとめなおしたものである。今、読み直してみれば、ずいぶん気負った、失礼な物言いも含まれているが、多少の書き足し以外はそのままの「ことば」を書き留めてみた。 2007年、夏、父送り火の後 |
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**詳細は「作業療法の詩」(青海社、2007) | |||||||
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