ひとは、生まれ、営み、生を終えるまで、その一生において、予期せぬ病いや不慮の事故、避けることのできない加齢など、生老病死、さまざまな実存的状況と遭遇する。そしてその実存的状況のなかにあって、それまで築いてきた生活や社会とのかかわりを失い、奪われることもある。
この失い、奪われた生活とのかかわりを取りもどす試みは、わが身が「わが(思う)まま」に動いてくれるかどうか、目的ある作業を介した自己の身体の確かめから始まる。そして、わが身が「ともにある身体」として確かめられ、リアルな存在になることで、その身体を基盤として、それまで自分の生活を支えてきた、さまざまな作業(くらしを構成しているいとなみ)をふたたび試み、確かめる。そして今ある身体を生きるために、必要な生活技能を習得することで、あるべき生活の回復もしくは新たな生活の再建がなされる。
作業をもちいる療法は、その失い、奪われた生活や社会とのかかわりを取りもどし、生活をふたたび建てなおすために、日々のいとなみに必要な「活動の再体験」の場と、長い療養生活のなかに、病いを忘れひとときの安らぎをもたらす「良質な休息」の場を提供する。作業をもちいる療法が提供する活動の再体験と良質な休息の場で、対象者自らが主体的に作業に取り組むことを通して、自己の身体と語らい、生活と語らい、自分なりの生活を取りもどす試みがなされる。
この失い、奪われた生活とのかかわりを取りもどす試行のプロセスは、作業を介した自己と身体との語らい(コミュニケーション)、身体を基盤に作業をすることによる自己と生活との語らい(コミュニケーション)という、自分の身体や生活、社会とのコミュニケーションプロセスといってもよい。
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